- 2009-07-19 (日) 16:31
ピリリリリリリ。
電話が鳴るなんて事は仕事のとき以外滅多にない。それも家で仕事をしているときに限って、だ。
基本的にはカスタムマナーモードを使っているので、外出先で電話が鳴ることは非常に稀だ。
だから最初それは僕の携帯が鳴っていると思わなかったが、携帯電話の音が近くも遠くもならないことを考えると非常に不思議な現象だと思った。
僕は街の中でとまっていて、僕の前を人がどんどん歩いて過ぎてゆく。僕と同じ場所にとどまっている人は居ない。
そして僕は新村からの電話を待っていて、彼からの着信はバイブレーションだったはずだ。
しかし5回目のコールで僕は携帯電話の着信表示を確かめてみた。
僕の電話が鳴っていた。
「もしもし、アマツチです」
街の雑踏の中で僕の声はその雑踏というノイズに混じって聞き取りづらい。だから出来る限りはっきりとした声で対応をするようにしている。
『お久しぶりです、こんにちは叔父さん』
受話器の声が僕のことをおじさんという。
「誰だっけ?」
『甥の宗治です』
「ああ、久しぶりだね」
と僕は言った。
誰だ?その声は澄んでいて十代のように聞こえる。僕に十代の知り合いは居ないはずだ。いや、大学のゼミ生の中にはいるのか?しかし僕の甥が同じ大学にいるという事は聞いた事がない。
『電話したことなかったから驚いたと思うんです。ごめんなさい、番号は母から聞きました』
思い出した。年の随分違う姉の子供か。
「少年、もしかすると君は僕のイラストレーションのファンかもしれないが、その相手をしている暇は・・・」
『え、おじさんはイラストレーターなの?いや、興味はあるけどおじさんの絵だと思って、アニメやそういうものには触れていないからわからないんですが・・・そういうことで電話したんじゃないんです、スイマセン』
どうやら僕はちんぷんかんぷんな事を言ってしまったようだ。僕は少し自分が恥ずかしくなった。
「そうなのかい、それにしても今はあまりベストなタイミングじゃないんだ、仕事の電話も待っているし、それに・・・」
僕は今時分が置かれている状況についてうまく説明できる自信がなかったが、なんとなくこの少年に対して素直で居るべきではないだろうか?と、僕は思った。上手く説明する必要はない。もし上手く説明するほど深く事情が込み入っているのであれば、それはそれでひとつ、街の隙間に挟まっている自分を抜け出すのによい道具になるだろう。
「君のおじさんは今、新宿の片隅で電柱に挟まっていて動けないんだ」
と僕は言った。
なんだ、新村にあんなに説明しなければいけなかったことは、現象だけを説明するとこんなに端的なことだったのか。
『なるほど、わかりました』
わかった?何が?
『おじさんに相談したいことがあるんです』
「何がわかったんだ?」
『それを含めて叔父さんに相談したいことがあるんです』
『母ではだめで、僕には友達という友達はこないだ死んだばかりです』
「それでは僕では少し役に立てそうにもないね」
と僕は言った。これ以上の面倒は面倒くさい。
「僕は、僕自身のことで頭がいっぱいなんだ」
話したこともない少年に、甥っ子に対してずいぶん僕は冷たいことを言うのだな、と内心考えた。
『それならちょうどいいです、僕はおじさんの知らないことを知っているとおもう。おじさんの助けに僕はなれるかも知れない』
「・・・僕の知らないこと?」
『そうです』
僕の声はひどく卑屈に聞こえたことだろう。
『なのでおじさんのところに今から行きたいと思うんです』
「今からは無理だ。仕事があるし、それに僕は家には帰れない」
『それはどうしたんです?』
「それは、さっきよりも短いがよくわからない」
僕は溜め息のように少年に向かって、いや受話器のマイクに向かってぶつぶつとつぶやいた。
「僕は今影に追われている、それは勘違いかもしれないけれども、それは家にいる。僕の影だ。影が僕の家を巣にしてじっと僕を食べるのを待っているんだ、だから僕は結構今怖くて、家に帰ることが出来ない」
と言った。そして続けて、友人の新村という男の家で作業をすること、その作業が少し多いことを少年に告げた。
『ありがとうございます、なるほど・・・邪魔しないようにしますので、新村さんの家にお邪魔してはいけませんか?』
「いつもなら良いと言うかもしれない、でも僕にも状況がある、これ以上の面倒を抱え込むことは今の僕には多分許されない」
『でも、おじさんにはその面倒を片付けることが出来ない。僕も自分の面倒を自分で解決できることが出来ない』
「そんなラノベみたいな口上を述べたところでぼくは何も出来ないよ」
随分僕の声は平坦だっただろう。
「そもそも、」
と僕は話を始めた、
「君はなぜ僕を選んだ。何で僕でなくてはいけないんだ」
『それは、メールにそうしろと書いてあったから』
少年の声に僕はぞっとした。それは僕の平坦だと思っていた言葉の温度よりもずっと寒くて、機械的だったからだ。
「メール?」
と、かろうじて僕は少年に問いを投げることが出来た。
『その辺の詳しい経緯もすべて会ってお話したいのです』
と少年は改まった口調で言う。
僕はしばらく考えた。新村への言い訳や、プライバシーの侵害などについて。
「わかった」
と僕はいって待ち合わせ場所を新村のアパートの最寄り駅に設定した。
『わがままを言ってすいません』
と少年は言って電話を切った。
電話を切るとすぐ新村からの着信があった。
「あー、一人少年が来ることになった、僕の甥っ子らしい」
なんだそれ、という声が聞こえたが、溜め息とともに別に構わないという答えが返ってきた。
全く、持つべきものは友達だな、と僕は思った。
そして恐るべき柔軟性。
そのとき随分僕は影に対して警戒を緩めていて、もしかするとその時には既に影についてあまり恐怖を感じなくなっていたのかもしれない。
『まぁ、お前も俺も、随分溜め息で会話するようになったものだ』
と新村が言った。
「全く」
『やれやれだよ』
やれやれだね。と、僕は心の中で思って、通話を終了した。
ピッ、っという電子音が僕の耳を貫いた。
件名:作戦会議やるからお前も来いよ 本文:追われているやつが増えたんだ。最寄り駅は駒込で、巣鴨寄りの改札。t
それに時間とお菓子の上限金額を書いてメールを送信した。
死なばもろとも、悩める子羊は一度に解消。
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