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#102 就業形態について

これからの就業形態について悩んでいます。
なんとなくでしかありませんが、『ずっとサラリーマン』というのは自分には合っていないのだと思います。
それは仕事の仕方であったり、雇用主との関係ということもあるのだとは思いますが、『まず仕事ありき』という考え方は『まず会社に属すること』と多少の矛盾を含んでいるのだと思います。
『仕事』は必ずしもクリエイティブなことだけでは無いと考えています。『仕事に支障があるから遅刻しないようにしよう』『仕事の同僚に迷惑がかからないように自分のタスクを片付けていこう』という考え方と、『会社が規定している定時があるから遅刻しない』『会社の為にスマートに作業をこなす』という考え方は、行動としては結果同じですが、まったく思想が異なります。
僕は前者において動いているため『会社のため』ではなく、あくまで『自己実現のための手段』として仕事を定義しているような気がします。

不労所得や、宝くじなどを僕は別に求めていません。
あくまで、自分の手が動いていることが重要だと考えていますし、それを当分辞めるつもりはありません。
ニートになりたい!と言っていますが、冗談です。
『やりたいことやるんだ!自由にやらせてくれ!!』という人を見ると、うらやましく思います。僕は特にやりたいことが見えていません。その上、自由という定義が自分の中にありません。

9月末をもって、現職をやめようと考えています。
と、なると10月から仕事がある状態にしないといけないのですが、そこで悩んでいます。
自分をとってくれるところ、という考え方もありますが、自分が仕事ができる場所であるのであれば、独立ということも真剣に考えています。
全く正社員という選択肢を捨てたわけではありません。
自分がどうなれば自己実現するのか、そのことについて非常に自分で疑問なのですが、決断のときだけが迫ってきています。

(1) 個人事業主としてパートナーで入場する
(2) 中途採用
(3) 派遣社員
まぁ、ふつうですね。
少し長い目で独立を考えるのであれば、多分(1)か(2)が正しい選択なのかもしれないと思っています。
どちらも少しハードルとしては高いですが、不可能では無いと考えています。
例えば、ソーシャルのFlashエンジニアとして。例えばFlexのエンジニアとして。RIAのUI開発者として・・・

うまく言葉にできないのは、独立を前提に考えていると、どの形態がもっとも望ましいのか自分でうまく租借できていないところだと思います。
話は繰り返しになりますが、やりたいこと、自分にとっての自由。そういったものを30歳までに見つけたいと考えています。
はてなの方がGREEに転職されたりAWSの書籍を書いた方がサイバーエージェントに行かれたり、といった話題でITの業界の人材の再編が加速しているような気がします。
僕はほんの小さい存在かもしれませんが、どんなプロダクトでも何らかの形で参画する以上、世界を構成する一人であると、自負しています。

たくさんの不勉強で不真面目な自分はいますが、『会社』よりも『仕事』に対してだけは真摯な態度で臨みたい。
その場所を自分で用意する勇気が自分にあるのか、それとも、どこかの会社さんで用意してもらえるのか。
まだわからないですが、ここにひとつのメモとして、足跡として残したいと思います。

もし何かご相談などあれば、仲良くしていただければと思います。

#100 夏です。

増田に書こうと思っていたこととか、色々あったのだけれどもそもそも増田に書いたことがないし、多くの人に見てもらいたいような内容でもないので自分の所に書きます。
それもなんか寂しい選択肢ですけれども。

皆さんには関係のないことですが、一昨日から一番下の弟が、結婚した二番目の弟の所に来ていまして一緒にご飯食べようと誘ってくれたのですが、まぁちょっと色々な理由で辞退。申し訳ないことをしたと思ったけれど、生きているのであればそのうち会えるよ。
僕は長男に見られないのですが、どうしてでしょうね。女の兄弟が居ると思われるか、一人っ子に見えるらしいです。
そんなに我が儘でしょうか?
二番目の弟は10月頃に関西に転勤になるらしく、この感じだと、さよならをしないでまた東京には僕一人で残ることになりそうです。多摩に叔母さんがいるので会いに行けばいいんですけれど。難しいですね。
車を持っていた頃はそれこそいつでも行ける環境だったんですが行きませんでした。

夏で思い出すことは沢山あるのですが、どれも過去のことなのでそのうちまとめてかければいいなと思います。
聞いてやんよ!と言うような方がいらっしゃいましたら、twitterのDMメールください。いや、頂けると喜びます。

初めてのソーシャルゲームが出ました。
でも、今は遊べません。
何か不具合があったらしく、ココ二日間アクセスできません。残念ですね。
ところで、世の中的にはopenSocialマンセー!という声が聞こえてくるのですが、僕には全く理解不能です。
だって、SAP(ソーシャルアプリケーションプロバイダー)が儲かると言うことは、そのプラットフォームを用意している、例えばmixiとかモバゲーとかGREEとかが儲かると言う事とほとんどイコールですからね。
僕は、mixiもモバゲー(DeNA)もGREEも別に好きじゃないので、何かこんだけ儲けたぜ、スゲーだろ!というあの上から目線が生理的嫌悪を催します。受け付けません。

僕はけしてほめられた人間ではないですし、どちらかと言えば最低な部類の人間になるのですが(意味不だし下劣だし不誠実だし)それでも今の会社って、本当にバカと気の弱い人の集まりだなー。と思います。
ここから先の内容で名誉毀損などに該当するような書き込みがあったら申し訳ありません。
今の会社は学生ベンチャーを発端とした2年目の会社です。
嘘と欺瞞と見栄で塗り固められた最低の会社です。
たとえば、北に儲かっている会社があれば『北に儲かっている会社があるって言うけれど、俺たちの方がスゲー事やってんだぜ、まじあれぐらいで儲かってるとか恥ずかしいよね』とかいいます。自社で稼いだことないのにね。m9
たとえば、南に技術が凄いと噂の会社があれば『あそこスゲーって言われてるけど、うちでやってることってあそこの何倍も凄いよね。なんであんなに凄いって言ってるのか分からん』とか言います。うちの会社の偉いさんは技術は何もわかりません。そもそも製品はリリースされていないし。何と比べているんだろう。純粋に不思議です。
見ているのは一月のあいだでどれだけ会社にいたかという勤務時間だけです。

うちの社長はメディアに出るのが好きらしく、例えばこんな記事があります。
僕は彼のことをある一定認めています。一社員として。お給金を頂いている身として。
頭は切れるように見えるし、判断力とか、まぁ、人より優れているところは多くあると思います。
しかし、それを補ってあまりあるだけの『直さねばならない点』があると思います。
僕が言うのもなんですが、社会人として最低限護って欲しいルールとか。
『モチベーションコントロールしたいからみんな頑張って』
とか、頭のいい人が口にするような言葉じゃないと思います。
『本物を世に出していきたいんだ。だからみんなには本物を見て欲しいと思っているし、そこに向けてどんどんやっていって欲しい』
具体性が欠けます。

入って3ヶ月が経ってしまったので、試用期間が終わりました。
でも、もうこの人のしたで働きたくないなって思います。
なのでまた僕は転職活動を考えます。

独立すること。

最近独立を考えます。
選択肢としては、3つあります。
・個人事業主として働く
・法人化する
・家の法人の名前を借りる
僕としては最後の選択肢は、ちょっと今は使いたくありません。それはまぁ、色々な理由があってのことです。
けれど、僕にはスキルもなければコネもありません。有名でもないし、それこそ体が弱い上に声も小さいので異業者交流会に行ってもあまり意味がありません。
ちょっと細かい仕事を任されても完遂できないことが多くあります。
それから請求書の類をどうも堂々と送れない奥手さが経営には向いていないと思っています。
でも、それは乗り越えなければならない壁だし、本当に一人でやるなら納期と請求書はマジでやらないとダメです。自分。
たとえ一人会社でも、生きていかねばならんのです。

そろそろ真剣に考えなければなりません。
『ボクが居なくなっても君はこの家でやっていける?』
と、恋人に言われました。恋人はボクっこです。
自分としては何とかやっていくつもりではいるのですが、心の支えになっていてもらっていた人からそう言われると、やっぱり辛いです。
たぶん、今は一緒にいてくれてるから、まだ怖いけど何とかなっているけれど、本当にいなくなってしまったら今自分が思っている以上に心は隙間だらけになってしまってしまうと思います。
でも、ボクには手を握ることぐらいしか、出来ないわけで。
多分、嫌いになられたわけでは無く、どちらかと言えば将来が見えない、という一点につきるのだと思います。
それはそうですね。
会社の愚痴しか言わなければそうなります。
勿論それだけじゃないですけれども。多分。
ボクには、引き留められないのだろうな、と思います。

来週今週の土曜日にモバイルプログラミング生放送勉強会で、人生初勉強会で壇上で喋ります。
LTなので5分間ほどですが、もしよろしければみて頂ければな、と思います。
楽しみです。ボクはヘタレなので声が震えると思いますが(白目

夏です。
相変わらずセミ爆弾が居ます。
蒸し暑い毎日です。
それでも、段々終わっていく夏を感じないわけには居ません。
出来れば早く秋になって、冬になって、・・・でもその時ボクはどうしているのだろうな。と、不安になると言うよりも不思議な感覚に陥ります。
知り合いのケータイGUIデザイナの方から takram design engineering と言うところを紹介されました。紹介というか、挑戦してみては?と。
時を同じくして、派遣の登録に行ったら、同じ所を紹介して頂きました。
正直、ボクはココで働きたいな、と思います。でも、自分の実力がカス以下であるので、それを認めるのが怖いとも思います。
それから、これから3年掛けて、技術を磨くのか、人脈を広げるのか悩んでいるところです。
技術で人を魅了できるぐらい自分がやれば、自ずと道は開けるのかもしれません。でもそれって覚悟と勇気が要って、大丈夫なの自分?って思います。
なので、まだ社員の道も考えています。
でも、何も持ってないボクが、また社員になるのって難しいなぁ、とか思ったりして。(苦笑

とりとめもない文章を書きました。
まだまだ蒸し暑い日が続きますが、体調管理をしっかりしてくださいね。
ボクは、おなか下していてもうダメです。

あ、MacBookPro 13 MB991J/A 買いました。
書きたいことは一杯あるような気がしていたんですが忘れました。
それではまた。

お暇なとき、皆さんボクを飲みに連れて行ってください。

#097 不安定なのでつらつらと

精神的に不安定なのでつらつら書こうと思っている。
前の職場の人に電話を掛けたら、色々な状況の変化があることを教えてくれた。もしかしたら僕がいたブラック企業から派遣されている人に電話してみたら何か面白い事があるかもしれない。
そんな感じで梅雨であって、この間寒いなぁ、と思っていたのに、じめじめじとじと暑い季節になってしまった。時間が流れるのは早いし、その流れに沿って唯々身を沿わせているだけで、終点に行き着くのだなと思うと、全く安心できない。
行き着くところは同じなのに、どうしてだろう、どうしてもそこに幸せだったり不幸だったりそう言う何か『特別』感を感じることが出来ない。僕は所詮ずっと同じように変わらないと思いながら、変化していく世の中について傍観者で在り続けるのかもしれない。
でも、傍観者には年齢制限があって、いつかは、かっちりと組み込まれる。
観測対象になったら、かっちり社会の一コマ。
立派な大人のできあがり。パチパチ。

古い友人に松下君が居るのだけれど(もう12年か)松下君は高校だか大学生の時に、
「オレは将来『ようこそ先輩』に出るような立派なクラスを受け持てる担任になる!」
という夢を僕に話してくれた。
僕は『その時先輩として出られるような人に僕はなりたい』と、冗談のように言ったが、割と本気だった。
振り返って、あの時の掛け合いは僕は割と思い出すと若かったな、と思う反面多分間違ってなかった。
『何についての先輩として』とか、そう言う細かい事じゃなくて自分が『何か』について教えられるものを持っている先輩として、それを受け入れてくれるクラスを持った旧友を訪ねる。良い未来じゃないかと思う。

僕は親がよく言うのだけれども、周囲の環境にものすごく恵まれている。
母や父が言うのだから間違いないと思う。僕は凄く心配されているし、あいされているようだ。
それでも、女性の方々で僕と深く付き合ってくれた人は疲れちゃうみたいで去ってゆくけれど、感謝している。
僕は我が儘で、その割に求め方が下手くそで、タイミングが悪くて不器用なのだけれど、何とか体裁を整えて自立していられるのは、周りの人達が居てくれるからだと思っている。
こういうことを言うとまた厨二病っぽくていやなんだけれど、周りの人達がとても優しいから僕は、やっぱりその優しさに答えたくて、出来るだけ優しくなりたいと考えている。
どれだけその場しのぎでも甘い言葉を、声を掛ける。
もし自分に出来ることがあるのであれば、いつまででも付き合う覚悟がある。
本当に殴り倒さなきゃ行けないときはそうする。
松下くんには、僕の醜くてずるい部分をよく見られていたな、と思う。
普段はそんなへまはしないもしかすると僕はロープの上を命綱無しで渡っているように周囲からは見えているのかもしれない。わからない事だらけだ。
話は逸れたが、松下君は、僕の襟首を掴んだこともあるし、僕に本気で怒ったこともあるし、凄く感謝している。
そう言う事してくれる友人は少ないから。
でも、生暖かい目で見てくれる友人達を僕は誇りだし、あいしている。
松下君は少し不器用だけど、素直で、ぶつかってきてくれる。きっと怖いだろう、でも僕にはきちんと話をしてくれる。

松下君は、きっともうすぐ先生になる。
だから、僕は『先輩』にならなきゃなっておもう。
番組があるとか無いとかじゃないんだよ。気持ちの問題だ。
彼のクラスに、僕が呼ばれて妥当だと思われたい、というエゴと、呼びたいと思ってくれる事が大事。『ようこそ先輩』が無くても良いじゃない。

時間は流れる。

僕は今と同じように不安定なまま過ごすのかな、って思って余計に不安になる。
バスルームに同居人がカミソリを置きっぱなしにしていて、シャワーを浴びていると、カランとそれが落ちた。
シャンプーをしているとそれが流れてきて僕の足を切るのではないかという強迫観念に押されてシャンプーをざっと終わらせて、慎重にカミソリを拾った。
血が嫌いだ。痛いのもいやだけど、実は痛いのは怖いことがつきまとっているから怖いだけなのかもしれない。痛くても別にいたくない振りは出来る。
どうしてその怪我を負ったのか、その理由を考えて怖くなる。
多分普通に病んでいるだけなのだけれど、このままこの病状が進行すると困るなって思う。モノに触れなくなるし、行動不能になる。
負のスパイラルでフラストレーションだけが螺旋階段で、終着駅に着く。

ところで、声を出すのがとても素晴らしい。
バンドをやっていたとき、結局ライブは出来なかったけれど凄く楽しかった。
迷惑を掛けないように、とか上手くやろうとすると、引っ張れなくて、いつもたがが外れるぎりぎりのところで叫べるようにやってた。
それでご飯食べたいとは思わないけれど、またバンドやりたいな。

#091 開発の現場より 【エンドユーザーと開発者の意識のかい離】

受託システム開発をすると言う事は必ずお客様が居る。
凄く簡単な話で当たり前の事なのだけれども、受託システム開発を主業務としている会社は、顧客の欲しているシステムが作られる背景やどのように運用されているか、と言う事についてはそこまで注力して考えていない。考えていないというと語弊を生むと思うのでそれは理由の2番目に当たると書けばいいのだろうか。
問題なのは1番じゃない、と言う事である。1番大切なのはシステム開発という業務を請け負う事によって収益を上げ、支払いを滞りなくしてもらう事だと思う。どれだけきれい事を言う会社であっても、受託システム開発会社である限りコレは覆らない。『いや、うちは顧客中心主義でやっていますから』と言う会社は胡散臭い。
納期があってリソースがあって、予算があって制限事項が多分にある。
その中でモノを作っていくという事は『顧客が一番になる事は殆どあり得ない』。もしあり得るとすれば所謂『営業案件』か、立ち上げ、運用までも請け負っている案件のどちらかであると思う。

夢から覚めて欲しい。
顧客の事を考える事は素敵だと思うし、顧客が笑顔になると嬉しいという気持ちがある事は分かる。しかし、実際はそのシステムは自分たちのモノではなくて顧客が自分たちでは作れない、もしくは作れるのだけれども外に出した方が安いとか、色々な事情があって受託システム開発会社かSIerと呼ばれる人たちに投げているのだ。
で、その請け負ったもの(この場合、契約形態はあまり気にしない、請負も準委任もその他も全部『仕事を任された』と言う事で一括りに『請け負った』と表現させて欲しい)を開発して、その代金を頂戴するのですね。(口調が変)
繰り返しになりますが、大事な事なので何度も書きました。

さて、表題に戻ります。
エンドユーザーって、誰を指すのでしょう。上記だけであればまるで発注した人がエンドユーザーみたいですね。でも、それは間違っています。間違っていないときもあります。
けれど、殆どの場合、発注した人がそのシステムのオペレーションをする事はあまりないと思います。
例えば僕が担当させて頂いた案件にコールセンターのシステムリプレイスや、紙ベースの帳票管理を電子化したりなどと言う事がありましたが、どちらも発注したプロマネやSEが運用するわけではなく『現場』のテレオペの方や受発注係の方達が使うのです。と、言う事は、実際のエンドユーザーはその現場の方達ではないかとボクは仮定します。彼らが求めているシステムを本来であれば作って納品する事が出来ればエンドユーザー中心主義的な考え方です、といえるかもしれません。
しかし、プロジェクトのステークホルダーは基本的にそのエンドユーザーがエンドユーザーでない事を知っています。
どういう事かというと、開発会社のお客様はお金を払ってくれる発注者です。末端のエンドユーザーの声を開発者が的確に捉える事はとても難しいのです。
伝言ゲームのようなものです。
開発会社がどのようなしようがよいかと聞く機会があったとすれば、発注者がオペレーターの方の声を持ち帰ってきてメールを開発会社に投げてくれます。コレは1次受けのモデルですね。それでも一つ挟まっています。でもコレは理想型であって実際はもっといっぱい挟まっています。開発会社もSIerが挟まっていれば一つ壁が大きくなります。時間のロスは生の声を風化させるだけの力があります。生の声というのは生の声なのでロスすると取り返せません。

ちょっと宗教的な、と言うか思想的に偏ってしまうかもしれませんが、ボクは言葉には力があると思っています。
力のあるというのは不思議なもので、空気感や匂いや重みやその他様々な感情を含んでいるような気がします。含んでいると言うよりも含まれてしまっているのだと考えます。書面にする事で、その時の顧客の伝えたい空気が伝わらない事もあるでしょう。議事録を読むだけでは一体どこが緊急なのか見えない事が良くあります。
電話一本で『ああ、なるほどそう言う事ですか』と言うような経験がみなさんにあると思います。公私問わず。
その、電話一本が掛けられないですれ違ったままプロジェクトを進めざるを得ない事は結構なダメージではないかと考えています。
例えばあなたが鏡も証明もない暗闇の中で服を着ています。その服にはボタンが何百個と縦に並んで付いています。そのボタンはとても小さく、しかし目立つ形をしています。しかしその服を着ないとあなたが表に立つ事が出来ません。勿論誰かと会う約束があれば時間内に着なければいけません。あなたは頑張って着ようと努力します。でもそれほど複雑な形をした服を着ると、どうしてもボタンが一つや二つ掛け違えてしまう事もあるでしょう。しかし縦に並んでいるので、掛け違えると大変です、もうそこから先は全く不格好鳴き立てになってしまいます。でも、残念ですが、鏡もなければ部屋も暗いので、その掛け違いに気がつく事は出来ません。そのままリリースするのです。
外に出たら笑われますが、持ち前のスルースキルで後は言及を逃れる以外に道がありません。

結果としてどうでもいいエントリになってしまいました。
でも、エンドユーザーと開発者は殆どの場合、理解し合える事は少ないです。その上で顧客への接し方などを模索するべきではないか、とボクは書きたかったのです。
誰も万能ではないので、その『かい離』について指摘して声を大きくする事は出来ないと考えます。

でも、まぁ、だからってエンドユーザーをないがしろにして良い、って言っているわけじゃないですよ?
きっとそのうちまた書くと思います。

なんだかとっても無味乾燥なエントリになってしまった。

#090 開発の現場から 【開発者と開発ツール制作者の意識のかい離】

いくつかのステップをふんで、表題の【開発者と開発ツール制作者の意識のかい離】を書こうと持っていたが、何度も草稿を心の中で繰り返し作成しているときに、不足事項は補足やコメントのリプライで繋げばいいと思った。だから今回は純粋に何がどんな風に僕自身が『どういう人が現場での開発者なのか』また、『どのような人が開発ツールの制作者なのか』と言う事から話していこうと思う。
そこから、絶対的にかい離する原因になっている溝を少しでも感じて貰えればと思う。

・開発者とは
此所で言う開発者は、現場におけるプログラマとシステムエンジニア、とにプロジェクトマネージャー(もしくはプロジェクトリーダー)を差す事にする。プリセールス、デザイナ、営業は外す。デザイナは限りなく開発者に近いが、後述するエントリに影響するので特例とさせて頂きたい。
それからこれから先のエントリでは毎回この開発者の定義を変えたいと思う。
コレは日本語的に開発者と言う事場のクラスが実装すべきメソッドがエントリによって変わる事に変わる。少々ややこしい言い回しになってしまうが、赦して欲しい。
開発者とは、プロジェクトを実務レベルで進めるプログラマ、システムエンジニア、リーダーのひとかたまりをさす事とする。

・開発ツール制作者とは
大枠でとらえると言語策定者、言語仕様創造者(アーキテクト)、またはVisual StudioやeclipseやNet Beans等に代表されるIDEのコミッタ。または各言語のフレームワーク開発者などもここに含める事にする。
日本で有名なのだとPHPのSmartyや、JavaのSeaser2や純粋言語としてはRuby等になるのだろうか。彼らを開発ツール作成者と呼ぶ事にする。
『開発者』を定義した後だと随分具体的な代表例となったような気がする。

さて、まず絶対的に違うのは分母の数である。
可用性のある言語を策定することや、新しい言語を開発するツールの作成者は、それとツールとして使って新しいシステムを作る人間に比べて数が少ない。開発ツールの制作者は開発も同時にしている事もあるので、どう考えてもその数は少ないと考えるのが当然だと思われる。
分母が違うと、そこには遊びの余裕がどんどん無くなっていく。勿論多い方が、同じだけの容積があるとすれば詰まってくるのが正しい。少ないほどに余裕があって自由であり、狭い世界を歩く事になる。
結果から言えば、開発ツールの制作者は孤独であり、孤高であり、開発者からの羨望と嫉妬を一新に受ける事になる。
具体的には、『この仕様、凄い』『便利だ』と言われる反面『ダメだ、バグが多すぎてつかえね』『この仕様じゃ実装できる機能が少なくない?』『難しすぎて訳わかんねー』とかといった二面性を常に一心に受ける事になる。
会社に属し、仕事として言語策定をしている人間であれば、ある程度は会社やチームが吸収してくれる事もあるだろうが、多くの開発ツールの制作者は孤独であり、独りで、まるでボランティアのようにしてやっているという現実がある。
コレはどのプラットフォームでも同じ事が居るだろう。
横道に逸れてしまうが、ペイントソフトやリモートソフト等、高等技術を駆使するフリーソフトを世に出している素晴らしい技術者も開発ツールの作成者と纏めてしまっても良いだろうと思う。ただ、園田レモが、割と例外なく孤独であるように思う。
制作のスタイルにも問題があるとは思う。
それは彼らが自分自身に対して大変に厳しく、そして我が儘であると言う事が言えると思う。
妥協が許せず、自分が一番である事を信じて疑わない。
人と協業してバグを一つ増やすよりも、仕様を小さくしても完璧なモノを目指す。そのような姿勢が見えるような気がする。
しかし、開発者はそのようではないと思う。勿論そのような潔癖な一面がある人が居る事は知っているが、決められた枠(言語仕様やハードウェア、もしくはネットワークの制限など、そして工数)の中で顧客が望む設計図を制作し、ものつくりをする。
そこにはエゴイスティックな側面よりも社会人として会社のために仕事をするという責務が第一に置かれているように感じる。
開発者が望む最終成果物は顧客のモノであり、自己満足するモノではない。常に先端技術を追い求めるよりも、安定版を使い、時にはデグレをしても正確なモノを世に出そうとする。
しかし開発ツールの制作者は先端技術をいち早く関知し、それをツールとして使える形にしようと苦心をする。何十年も変わらないスタンダードとして君臨したSQLをなんとかしようとBigtableをスタンダードにしようとしたり、10年前には全く現実味の無かった仮想化を仕事で使えるレベルに引き上げたりする。(仮想化自体はもう何十年も前からしそうとしてはあったはず)VMは今では当たり前だし、それ無しに業務システムの構築は出来ない。JavaやFlexはVMの良い例ではないかと思う。それ以上のモノはないのだし。

しかし、事実としてJavaが出た当時に、あまりの動作の重さに誰もそれを業務で使おうとはしなかった。VBやC++で書かれたクラサバが主流だったし、実際にそれで不都合だった事もない。
つまり、開発者はそんな不安定な最新の技術よりも少し不便でもバッドノウハウのあるレガシー名技術の砲が顧客に最適なソリューションだと考える事が出来たからだ。
開発ツールの制作者達はそれでは面白くない。
世界は自分か築いた周辺だけで終わってしまい、それを使用されない社会では自分のエゴが通用しない事を突き返される事になる。
だから心の折れない開発ツールの制作者達は、開発者よりももっと遠くを見て如何にして『自分が開発者であったときにこのツールを選ぶのか』と言う事を命題に開発を行っているように感じる。
使命感とでも言えるかもしれない。

さて、つまり開発ツールを思案している種類の人間は開発者であると同時に、自分自身を表現するパフォーマンスを行っていると考えられる。
どの辺り迄が世界であって、その世界を作るための社会をどの辺に置くのか、社会を感じている開発ツール制作者ほど具体的に夢を見ているように思う。
限界がどこであるのか、自分の中にしか持っていない。
開発者は、ツールの限界が仕様の限界が、顧客への提案の限界だと考えているように思う。だから、開発ツールの制作者に『もっと良くして欲しい』と言うのだろうと思う。

どちらが良いわけではない。
ただ、開発ツールの制作者の邦画より、現代のアーティストとして表されるべきではないだろうかと考える。

また、別項として【開発ツール制作者が本当に見たい夢】をどこかで書きたいと思う。
つまり、彼らが見ている夢は、彼らでは出来ず、開発者の誰か達に具現化して欲しいと思っているのではないかと考える。
『そう、おれはこのツールでこんな事がしたかったんだ』と言って貰える何かを作り出して欲しくて、作り続けるのではないだろうか。

#079 秋、映画のエキストラ、楽天、焼き芋

いろいろ書きたいことがあります。
でも書きません。
一部だけを書きだせればいいかと思って、今回は、そんなスタンス。

すっかり気がつくと秋でした。
アクセス解析をみると、mini 5101 の記事で結構来てくださっているようで、皆様ありがとうございます。
使用後レポートやるといいながらやっていません。申し訳ない。でも、楽しみにしている人がいるとも思えないので、放置しているだけです。
前回ソフマップの査定が8000円で、プギャーm9 というお話を書かせていただきましたが、色々あって、22000円ぐらいで買い取ってくださるそうです。
そのうち振り込まれると思うので、それはまぁあれですね、mini 5101 買った足しにしようかと思っています。
何でしょう、この敗北館、この貧乏館、でも僕は別にそんなことでめげたりはしないのです。

閑話休題

最近ねとらじ及びニコ生を行っております。
話していることは至極退屈なものなのですが、話すスキルというものが僕には足りていないので、いい機会だからと思って、ニコ生の法は一人でやっています。
僕を見つけても、そっとしておいてあげてください。
映像もなく、ただだらだらと話しているだけです。

焼き芋から始まるラブストーリー
最近、放送をしていて最もホットな話題はこれでした。
木村『アチチ』
斎藤『大丈夫かよー』
木村『ジャガイモ、かなりホクホクしててうまそうなんだけどさ、あっちーな』
斎藤『まぁ、焼いてるし、当たり前』
木村『あ、斎藤バター乗せてくれよ、両手塞がってるんだよ』
斎藤『仕方ねーなー』

と、いう寸劇を一人でやったら、木村×斎藤、というカップルができました。
誰ですか、木村と斎藤。僕の知り合いではないですよ。
でも、ずいぶんコメントが盛り上がりましてね。焼き芋会は10人ほどの視聴者の方で、90ほどのコメントをいただきました。
ありがたい。
『そういうホクホクなシチュエーション萌えますね』
という、僕の余計な一言でコメントがピタッと止まりまして、言わなきゃよかったです。

と、思っていたら、ずいぶん寒くなってしまいました。
大好きな冬がもうすぐきます。

あ、チャリのタイヤがパンクしました。

#077 なまえとあだな

ボクにはあだながない。

ヤマザキノリオ と言うのが僕の本名なのだけれども、自分で付けた名前以外で呼ばれることはまず無い。
『あだなは何ですか?』と聞かれることがたまにあるけれども、答えに困る。
『無いんですよね、学校とかの友人は”ノリオ”と呼びますよ』と答えると、『え、呼び捨てですか。下に見られているみたいでいやじゃないですか?』とか言われたりする。
ボクはそんな風に呼び捨てにされることは特におかしいと思っていないのだけれども、名前を呼び捨てにするという行為はどうやらそんなに良いことではないようだ。

良くないと思われても、呼ばれる名前がないと困るので適当にハンドルネームやトリップを付ける。
自分にしっくり来ないので、その名前で呼ばれてもどうも返事にワンテンポ遅れが生じる。
いま、ついったー等ではボクは自分をplatoronicalと、表しているのだけれども、読み方が分からない、自分で自分のことだと思えない。等色々と弊害がある。
長いので、『あ、何かみたことありますよ』と言われたりするときはメリットかな、と思ったりするのだけれども。

閑話休題

小中高、専門大学大学院、何処をとってもやっぱりコレと言ってあだながない。
最初は誰しもがボクのあだな漬けにチャレンジしてくれるのだけれども、最終的にはノリオという本名で落ち着く。
ボクも、其れでいいやと思って居る。
それが良い。

このようにしてボクはノリオという名前がどうやら体に合っているらしい。
ノリオ君であって、ノリオ君以外の何者でもないらしい。
うーん。複雑だ。

『ノリオ先輩って、本名なんて言うんですか?』
『え?』
『みなさん”ノリオー”と呼びますが私は本名で呼びたいです』
『本名がノリオだよ』
『え、ウソー』

と言うような会話が嘘のようでほんとにあったりね。
小中高ぐらいまでは自分の名前が嫌いで、いやで仕方なかったけれど、最近はそうでもなくなってきたかな、と思ってる。
ノリオ君は、全国に一杯居るのだろうけれども、一億分の1982年生まれのノリオ君のボクは、とりあえず、今のところ自分の名前を許せるところまでは来ているようです。

あだな、やっぱり何かしら欲しかったような、そんな気はしますが・・・。

#066 瞳のカトブレパス


瞳のカトブレパス / 田中靖規

家に帰る小田急線の中、久しぶりに早く会社を出ることが出来たので、駅ナカの本屋にふらっと寄ったときに手に取った。
田中靖規先生は僕の小学校中学校の同級生で、同じ建具屋の息子と言うこともあるのか、僕は割と仲が良かったように思っていた。
彼はとても頭が良く、その上で絵が上手かった。
僕がカードゲームとラジオでオタク活動をしている裏で彼は絵画で賞を取っていたし、こつこつ漫画も書いていた。
・・・という昔話をたまによく思い出す。

和歌山県の人はどうもチャレンジ精神が有り余ってる人と、そうでない人差が激しい。
僕は個人的にそう思う。
僕のように適当に人生をこなしている人はとても少ない。
必死になったりもがいたりあがいたり、そう言う人か、何もせずにただ社会の中で右から左へとベルトコンベアの上に乗って人生を時間を過ごしている人が多い気がする。
東京の人も同じだと思うけど。
結局の所和歌山にいると言うことは村社会を意識しなければならないと言うことなのかもしれない。

閑話休題

単行本が出ていないと思っていなかったのだけれども、出てたので衝動買い。
アマゾンでもきっと買える。
応援お願いします。

桜ノ雨を聞いていたら、急に切なくなった。

ところでバクマンも一緒に買いました。
うーん。
何というか、一緒に買うべきではなかったなぁ。
タナカヤスキ先生には頑張って欲しいな。(踏ん張ってと言うところか)

目標だ。

#063 ChucK とか ContextFree とか 全然やってないProce55ingとか

とりあず、色々入れているのだけど、どれもコレもhelloWorldの段階で止まっている。
とりあえず、最近決まったのはChucKで、
5分間オーディオプログラミング:ChucK入門
OpenSoundControl 3 - ChucK入門、ChucKとProcessingの連携
[ChucK]オーディオプログラミング言語 ChucKをいじる
この辺を参考にしながら、いじってみたけど、Max/MSPで全く駄目だったオーディオプログラミングが面白い。
似非アルペジエーター的なことをやったりするのとか、いわゆるどうやってるのか分からない”ピコピコしたコンピューターの音”があっさりきこえてくることに感動した。
でも既に途中で読むことが出来なくなってきた。
日本語の参考資料が少なすぎるよぅ。。。
これを機に英語を!と思ったのはcontextFreeとかProce55ingも同じだけど、明日にはめげてるだろうな。

ChucKは、miniAudicleという統合開発環境があるのでそっちやった方が楽しい。
はてなの方に間違って『オブジェクト指向に飽きた方にはいいんじゃない?』見たいに書いちゃったけど、立派なOOP言語らしい。
AS3よりも優れている点は、オーディオプログラミングにとjっかしているから、その部分しかか無くて良い点かな?
AS3でも同じように音を生成したり出来るけど、クラスの作成から入らなきゃいけないのとか、まぁ、手軽さが無いからChucKやProce55ingの方が色々楽に感じてしまうのだろうな。
多分この辺は、Flash8までのAS1/AS2の感覚に近いのかもしれない。(全然やったこと無いけれど)

さて、で、今日色々本を探しに成城学園前の本屋まで足を運んだんだけど、何もなかった。
ゲームのアルゴリズム本とか、やっぱりある程度大きな書店に行かないと無いんだなぁ、と実感。
FlashLite1.1に関する書籍が欲しかったんだけど、皆無。
ちょっとまたこれから無駄な時間を過ごそうと思っているのだけれども、どなたか詳しいこと居たらご指導お願いいたします。
でも感覚値としては上記のような結構オーソドックスなプログラミングなんですよね。。。
ゲーム作ろうとするからむづいのか。。。?

あ、そういえば昔vvvvやろうとして僕は挫折していましたね。
結局何もやってないじゃん、ってことで何かアウトラインだけ知ってるだけのダメ人間になって居るなぁ・・・。
少しは作品にしてちゃんと公開できる形にしたいなぁ・・・。

#059 世界の再構築についてのまとめ

写真で送る世界の再構築。
http://platoronical.net/
2007年の丁度今ぐらいの次期の修了展の様子です。
賞とか何もとれなくて、結局自己満足も自己満足で終わってしまいましたが。
余裕があれば装置図と、敗戦ず、仕掛けをまとめたいと思っていたんですが、
何か延び延びになってしまっていて、で、思うままに酔いながら書きました。

本当は、サイトの写真素材を過去のアーカイブからひっこ抜こうと思って、あさっていたら出くわしました。
そういやまとめていないなぁ。とか思って。
(ポートフォリオ用にはまとめましたが、公開していません)
で、夜中の変なテンションで作ったらやっぱり女々しくなったので、僕の本質的なところは何も変わっていないのだなぁ、と改めて実感。
その上、次を作る一歩をなかなか踏み出せないままなので、むしろマイナスなのかも、と思ったりします。
(いやいや、こんなところで立ち止まってはいかんよ、じぶん)

この人のこのエントリの
作成する上でのポイントはこちら
1.目的を作成する
2.一人で作らない
3.できた段階ですぐに人に必ず見せる。
4.アイディアをお互いに相談する(できればご飯を食べながら)
5.完成後は必ず打ち上げをする
6.1に戻る

これ、大事だと思いました。
ウォーターフォールだなんだいいますが、大きな目で見ればすべてスパイラル型なのかもしれません。
僕はこの時時間があって、時間を見つけてくれた人にすべて頼んでいましたが、
今同じことはできないとか思っている節がありますが、本当はそうじゃないはずで、
今でも何かこんなところでとどまっていてはいけないよ
と、僕の中の人がいいます。

焦ってはいないけれど、
これは焦りにも似ている。
僕が動かなければ、そして、誰かが能動的に動くのをきちんとついていかなければ。
正視しろ。そして自身について刮目セヨ。

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