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#102 就業形態について

これからの就業形態について悩んでいます。
なんとなくでしかありませんが、『ずっとサラリーマン』というのは自分には合っていないのだと思います。
それは仕事の仕方であったり、雇用主との関係ということもあるのだとは思いますが、『まず仕事ありき』という考え方は『まず会社に属すること』と多少の矛盾を含んでいるのだと思います。
『仕事』は必ずしもクリエイティブなことだけでは無いと考えています。『仕事に支障があるから遅刻しないようにしよう』『仕事の同僚に迷惑がかからないように自分のタスクを片付けていこう』という考え方と、『会社が規定している定時があるから遅刻しない』『会社の為にスマートに作業をこなす』という考え方は、行動としては結果同じですが、まったく思想が異なります。
僕は前者において動いているため『会社のため』ではなく、あくまで『自己実現のための手段』として仕事を定義しているような気がします。

不労所得や、宝くじなどを僕は別に求めていません。
あくまで、自分の手が動いていることが重要だと考えていますし、それを当分辞めるつもりはありません。
ニートになりたい!と言っていますが、冗談です。
『やりたいことやるんだ!自由にやらせてくれ!!』という人を見ると、うらやましく思います。僕は特にやりたいことが見えていません。その上、自由という定義が自分の中にありません。

9月末をもって、現職をやめようと考えています。
と、なると10月から仕事がある状態にしないといけないのですが、そこで悩んでいます。
自分をとってくれるところ、という考え方もありますが、自分が仕事ができる場所であるのであれば、独立ということも真剣に考えています。
全く正社員という選択肢を捨てたわけではありません。
自分がどうなれば自己実現するのか、そのことについて非常に自分で疑問なのですが、決断のときだけが迫ってきています。

(1) 個人事業主としてパートナーで入場する
(2) 中途採用
(3) 派遣社員
まぁ、ふつうですね。
少し長い目で独立を考えるのであれば、多分(1)か(2)が正しい選択なのかもしれないと思っています。
どちらも少しハードルとしては高いですが、不可能では無いと考えています。
例えば、ソーシャルのFlashエンジニアとして。例えばFlexのエンジニアとして。RIAのUI開発者として・・・

うまく言葉にできないのは、独立を前提に考えていると、どの形態がもっとも望ましいのか自分でうまく租借できていないところだと思います。
話は繰り返しになりますが、やりたいこと、自分にとっての自由。そういったものを30歳までに見つけたいと考えています。
はてなの方がGREEに転職されたりAWSの書籍を書いた方がサイバーエージェントに行かれたり、といった話題でITの業界の人材の再編が加速しているような気がします。
僕はほんの小さい存在かもしれませんが、どんなプロダクトでも何らかの形で参画する以上、世界を構成する一人であると、自負しています。

たくさんの不勉強で不真面目な自分はいますが、『会社』よりも『仕事』に対してだけは真摯な態度で臨みたい。
その場所を自分で用意する勇気が自分にあるのか、それとも、どこかの会社さんで用意してもらえるのか。
まだわからないですが、ここにひとつのメモとして、足跡として残したいと思います。

もし何かご相談などあれば、仲良くしていただければと思います。

#101 インターネットとビジネスについてずっと思っていること

インターネットって何なんだろう?
それから、ビジネスってなんだろう?
という2点について。

ビジネスをwikiperiaで調べてみた。

ビジネス (Business) は経済行為を表す用語であり、狭義から広義まで様々な意味を持っていて、1つの日本語に置き換えて表現することはできない。以下に、ビジネスの代表的な意味を、簡単な表現事例をとともに記す。
一件あたりの商談、商取引、売買、など(商売)を表すビジネス
例 : ビジネスが成立した。
仕事や職業、業務などを表すビジネス
例 : 私のビジネスは……
商業活動や経済活動全般を表すビジネス
例 : 昨今のビジネスは…… ビジネス界においては……
広義のビジネスについては次のように表現することが出来る。ビジネスとは営利や非営利を問わず、また、組織形態を問わず、その事業目的を実現するための活動の総体をいう。したがって、ビジネスの主体者としては株式会社などのような営利企業だけなく、NPOなどの非営利活動法人や住民サービス提供などを行う行政組織等を含み、個人または法人組織などの事業体がそれぞれの事業目的実現のために、人・物・金・情報などの諸資源を活用して行う活動全体を意味する。

日本語で置き換わる言葉はないがとても広い意味を持つ言葉として認知されているのだな、と言う事だけが漠然と解った。
誤解を招く解釈をすれば、『取引が行われる可能性のある機会を作ること、また経済活動に発展する可能性のあるアイデア』もビジネスとして認識されると言うことなのかな?

インターネットとは何か、インターネットでさがしてみた。
 まずはインターネットとは何かをはっきりさせましょう。 もともとinterとは中間とか間、相互といった意味を持ちます。 internationalなら国際ですし、intercessionなら仲介です。 ですから、語源的にはネットワークとネットワークをつなぐものが、 すなわちインターネットです。 英語だと、小文字で始まるinternetがこれに相当して、 LANとLANをつないだもの、というイメージになります。
 対して日本でインターネット、英語では大文字で始まるThe Internetのほうは、 もっと限定的です。 これはIPという約束に従って接続された、 世界規模のコンピュータネットワークを意味します。

出典:インターネットとは
さて、誤解を恐れずに自分の見解を述べると、コンピューター同志が通信できる仕組みそのものがインターネットである。
という風に読み解くのが一つの正解かな?と僕は感じました。

その上で、インターネットでビジネス。
ボクはインターネットは上記出典にあったようにコンピューターの通信を担うモノと考えています。
たまたまそこに人間がメッセージのやりとりを乗せて通信できること、表現を載せられることが出来ただけだと考えています。
そのことにより、『コンテンツ』という言葉が自然に当てはまって、そのコンテンツを目的にインターネットを触るようになった人がどっと入ってきたように思います。
はしょります。コンテンツという言葉が一般化したインターネットでは、コンテンツを売り買いするビジネスのプラットフォームが手に入ったわけです。
なので、インターネット上でモノの売り買いが始まり、それをより効率的により市場のパイを広げるために、仕掛け人達は様々な施策を打ったんだと思います。
なので、インターネットサービス=ビジネスモデル。という図式がいつの間にかできあがってしまった。
メディアとしての地位を一定確立し、貨幣経済を動かすまでに市場が成長した。

さて、しかし、ボクはインターネットでのビジネスについて疑問があります。
それは、『結局広告?』と言う事につきます。
アフィリエイトは、モノがあって、それを売るための広告です。
アフィリエイターが儲かると言うことは広告出稿主は、それ以上に稼いでいると言うことです。
凄く当たり前の話ですが、大事なことなので書きました。

さて、それではソーシャルってどうなってるんでしょうか。
例えばDeNA(モバゲー)のソーシャルに参入したとします。
課金が走って、SAP(ソーシャルアプリケーションプロバイダー)は喜びます。
でも、100%SAPに入るわけではないのです。
DeNAという企業にピンハネされます。
『おいおい、モバゲープラットフォーム津かっ点だから当たり前じゃないか』
というご意見があると思いますが、構造的になんか変じゃないですか?
モバゲーにはユーザーがいる。そのユーザーに向けてコンテンツを配信する。儲ける。
はい、正しいですね。
いや、待ってください。DeNAのどこにリスクがありますか?
・開発費 → SAP持ち
・運用費 → SAP持ち
・企画 → DeNAの横やりが入る
で、売れなかったらサーバー代もでないわけです。
SAPになって何が一番美味しいかというと、運用後のアイテム課金などの売り上げですね。
でも、ノーリスクでピンハネしてるDeNAは、何かせこくないですか?
で、企画ですが、どれだけ先進的なモノを作っていける!と思っても
『うちでにたようなの今度出すんでダメです』とか、DeNAから企画修正させられるわけです。
DeNAがお金を払ってくれるならその修正は対応できますが、それをしないと公開させないぞ、と上から目線名わけです。

何が言いたいかというと、サードパーティーのSAPのソーシャルアプリが売れるとDeNAやGREEは絶対に儲かっている。
と言う事になります。
下請けが頑張って頑張って作って、一番儲かるのが、自分たちでも、受託している場合は受託を頼んだ会社でもなく、
ただのプラットフォームであるはずのGREEやDeNAという現実。
これはfacebookにも同じ事が言えると思います(実情は知りませんが)
もっと言えば、普通にSAPをやっている限りDeNAも、GREEも追い抜けないわけです。

さて、インターネットとビジネスと書きましたが、ぼくは、資本を寡占する仕組みを考える人がどうも好きではありません。
もっと、いろんなやり方があっていいと思っていますし、多分インターネット二いる人達に対して、マネタイズすることは、出来ると考えています。
それは、どんな形なのかボクには今はわかりません。
でも、インターネットって、もっと形のないモノだと思うし、だからビジネスのモデルってもっと不定形だと思う。
既存の所謂ビジネスモデルを当てはめて『ちょっと稼いだ!』というのはスケールが小さい気がします。

インターネットだから出来ること。
インターネットにしかできないこと。
それは、多分、ボクを含め誰もがインターネットとはないか、と言うところで躓いているからと思います。
もっとインターネット的な生き方が出来て、もっとその生活に則した稼ぎ方があると考えています。
それは自然とは少し違うかもしれない。
でも、第何次産業と呼ばれるモノの仲に当てはまらないのだから、誰しもが違和感を持っていいと思うのです。

#100 夏です。

増田に書こうと思っていたこととか、色々あったのだけれどもそもそも増田に書いたことがないし、多くの人に見てもらいたいような内容でもないので自分の所に書きます。
それもなんか寂しい選択肢ですけれども。

皆さんには関係のないことですが、一昨日から一番下の弟が、結婚した二番目の弟の所に来ていまして一緒にご飯食べようと誘ってくれたのですが、まぁちょっと色々な理由で辞退。申し訳ないことをしたと思ったけれど、生きているのであればそのうち会えるよ。
僕は長男に見られないのですが、どうしてでしょうね。女の兄弟が居ると思われるか、一人っ子に見えるらしいです。
そんなに我が儘でしょうか?
二番目の弟は10月頃に関西に転勤になるらしく、この感じだと、さよならをしないでまた東京には僕一人で残ることになりそうです。多摩に叔母さんがいるので会いに行けばいいんですけれど。難しいですね。
車を持っていた頃はそれこそいつでも行ける環境だったんですが行きませんでした。

夏で思い出すことは沢山あるのですが、どれも過去のことなのでそのうちまとめてかければいいなと思います。
聞いてやんよ!と言うような方がいらっしゃいましたら、twitterのDMメールください。いや、頂けると喜びます。

初めてのソーシャルゲームが出ました。
でも、今は遊べません。
何か不具合があったらしく、ココ二日間アクセスできません。残念ですね。
ところで、世の中的にはopenSocialマンセー!という声が聞こえてくるのですが、僕には全く理解不能です。
だって、SAP(ソーシャルアプリケーションプロバイダー)が儲かると言うことは、そのプラットフォームを用意している、例えばmixiとかモバゲーとかGREEとかが儲かると言う事とほとんどイコールですからね。
僕は、mixiもモバゲー(DeNA)もGREEも別に好きじゃないので、何かこんだけ儲けたぜ、スゲーだろ!というあの上から目線が生理的嫌悪を催します。受け付けません。

僕はけしてほめられた人間ではないですし、どちらかと言えば最低な部類の人間になるのですが(意味不だし下劣だし不誠実だし)それでも今の会社って、本当にバカと気の弱い人の集まりだなー。と思います。
ここから先の内容で名誉毀損などに該当するような書き込みがあったら申し訳ありません。
今の会社は学生ベンチャーを発端とした2年目の会社です。
嘘と欺瞞と見栄で塗り固められた最低の会社です。
たとえば、北に儲かっている会社があれば『北に儲かっている会社があるって言うけれど、俺たちの方がスゲー事やってんだぜ、まじあれぐらいで儲かってるとか恥ずかしいよね』とかいいます。自社で稼いだことないのにね。m9
たとえば、南に技術が凄いと噂の会社があれば『あそこスゲーって言われてるけど、うちでやってることってあそこの何倍も凄いよね。なんであんなに凄いって言ってるのか分からん』とか言います。うちの会社の偉いさんは技術は何もわかりません。そもそも製品はリリースされていないし。何と比べているんだろう。純粋に不思議です。
見ているのは一月のあいだでどれだけ会社にいたかという勤務時間だけです。

うちの社長はメディアに出るのが好きらしく、例えばこんな記事があります。
僕は彼のことをある一定認めています。一社員として。お給金を頂いている身として。
頭は切れるように見えるし、判断力とか、まぁ、人より優れているところは多くあると思います。
しかし、それを補ってあまりあるだけの『直さねばならない点』があると思います。
僕が言うのもなんですが、社会人として最低限護って欲しいルールとか。
『モチベーションコントロールしたいからみんな頑張って』
とか、頭のいい人が口にするような言葉じゃないと思います。
『本物を世に出していきたいんだ。だからみんなには本物を見て欲しいと思っているし、そこに向けてどんどんやっていって欲しい』
具体性が欠けます。

入って3ヶ月が経ってしまったので、試用期間が終わりました。
でも、もうこの人のしたで働きたくないなって思います。
なのでまた僕は転職活動を考えます。

独立すること。

最近独立を考えます。
選択肢としては、3つあります。
・個人事業主として働く
・法人化する
・家の法人の名前を借りる
僕としては最後の選択肢は、ちょっと今は使いたくありません。それはまぁ、色々な理由があってのことです。
けれど、僕にはスキルもなければコネもありません。有名でもないし、それこそ体が弱い上に声も小さいので異業者交流会に行ってもあまり意味がありません。
ちょっと細かい仕事を任されても完遂できないことが多くあります。
それから請求書の類をどうも堂々と送れない奥手さが経営には向いていないと思っています。
でも、それは乗り越えなければならない壁だし、本当に一人でやるなら納期と請求書はマジでやらないとダメです。自分。
たとえ一人会社でも、生きていかねばならんのです。

そろそろ真剣に考えなければなりません。
『ボクが居なくなっても君はこの家でやっていける?』
と、恋人に言われました。恋人はボクっこです。
自分としては何とかやっていくつもりではいるのですが、心の支えになっていてもらっていた人からそう言われると、やっぱり辛いです。
たぶん、今は一緒にいてくれてるから、まだ怖いけど何とかなっているけれど、本当にいなくなってしまったら今自分が思っている以上に心は隙間だらけになってしまってしまうと思います。
でも、ボクには手を握ることぐらいしか、出来ないわけで。
多分、嫌いになられたわけでは無く、どちらかと言えば将来が見えない、という一点につきるのだと思います。
それはそうですね。
会社の愚痴しか言わなければそうなります。
勿論それだけじゃないですけれども。多分。
ボクには、引き留められないのだろうな、と思います。

来週今週の土曜日にモバイルプログラミング生放送勉強会で、人生初勉強会で壇上で喋ります。
LTなので5分間ほどですが、もしよろしければみて頂ければな、と思います。
楽しみです。ボクはヘタレなので声が震えると思いますが(白目

夏です。
相変わらずセミ爆弾が居ます。
蒸し暑い毎日です。
それでも、段々終わっていく夏を感じないわけには居ません。
出来れば早く秋になって、冬になって、・・・でもその時ボクはどうしているのだろうな。と、不安になると言うよりも不思議な感覚に陥ります。
知り合いのケータイGUIデザイナの方から takram design engineering と言うところを紹介されました。紹介というか、挑戦してみては?と。
時を同じくして、派遣の登録に行ったら、同じ所を紹介して頂きました。
正直、ボクはココで働きたいな、と思います。でも、自分の実力がカス以下であるので、それを認めるのが怖いとも思います。
それから、これから3年掛けて、技術を磨くのか、人脈を広げるのか悩んでいるところです。
技術で人を魅了できるぐらい自分がやれば、自ずと道は開けるのかもしれません。でもそれって覚悟と勇気が要って、大丈夫なの自分?って思います。
なので、まだ社員の道も考えています。
でも、何も持ってないボクが、また社員になるのって難しいなぁ、とか思ったりして。(苦笑

とりとめもない文章を書きました。
まだまだ蒸し暑い日が続きますが、体調管理をしっかりしてくださいね。
ボクは、おなか下していてもうダメです。

あ、MacBookPro 13 MB991J/A 買いました。
書きたいことは一杯あるような気がしていたんですが忘れました。
それではまた。

お暇なとき、皆さんボクを飲みに連れて行ってください。

#091 開発の現場より 【エンドユーザーと開発者の意識のかい離】

受託システム開発をすると言う事は必ずお客様が居る。
凄く簡単な話で当たり前の事なのだけれども、受託システム開発を主業務としている会社は、顧客の欲しているシステムが作られる背景やどのように運用されているか、と言う事についてはそこまで注力して考えていない。考えていないというと語弊を生むと思うのでそれは理由の2番目に当たると書けばいいのだろうか。
問題なのは1番じゃない、と言う事である。1番大切なのはシステム開発という業務を請け負う事によって収益を上げ、支払いを滞りなくしてもらう事だと思う。どれだけきれい事を言う会社であっても、受託システム開発会社である限りコレは覆らない。『いや、うちは顧客中心主義でやっていますから』と言う会社は胡散臭い。
納期があってリソースがあって、予算があって制限事項が多分にある。
その中でモノを作っていくという事は『顧客が一番になる事は殆どあり得ない』。もしあり得るとすれば所謂『営業案件』か、立ち上げ、運用までも請け負っている案件のどちらかであると思う。

夢から覚めて欲しい。
顧客の事を考える事は素敵だと思うし、顧客が笑顔になると嬉しいという気持ちがある事は分かる。しかし、実際はそのシステムは自分たちのモノではなくて顧客が自分たちでは作れない、もしくは作れるのだけれども外に出した方が安いとか、色々な事情があって受託システム開発会社かSIerと呼ばれる人たちに投げているのだ。
で、その請け負ったもの(この場合、契約形態はあまり気にしない、請負も準委任もその他も全部『仕事を任された』と言う事で一括りに『請け負った』と表現させて欲しい)を開発して、その代金を頂戴するのですね。(口調が変)
繰り返しになりますが、大事な事なので何度も書きました。

さて、表題に戻ります。
エンドユーザーって、誰を指すのでしょう。上記だけであればまるで発注した人がエンドユーザーみたいですね。でも、それは間違っています。間違っていないときもあります。
けれど、殆どの場合、発注した人がそのシステムのオペレーションをする事はあまりないと思います。
例えば僕が担当させて頂いた案件にコールセンターのシステムリプレイスや、紙ベースの帳票管理を電子化したりなどと言う事がありましたが、どちらも発注したプロマネやSEが運用するわけではなく『現場』のテレオペの方や受発注係の方達が使うのです。と、言う事は、実際のエンドユーザーはその現場の方達ではないかとボクは仮定します。彼らが求めているシステムを本来であれば作って納品する事が出来ればエンドユーザー中心主義的な考え方です、といえるかもしれません。
しかし、プロジェクトのステークホルダーは基本的にそのエンドユーザーがエンドユーザーでない事を知っています。
どういう事かというと、開発会社のお客様はお金を払ってくれる発注者です。末端のエンドユーザーの声を開発者が的確に捉える事はとても難しいのです。
伝言ゲームのようなものです。
開発会社がどのようなしようがよいかと聞く機会があったとすれば、発注者がオペレーターの方の声を持ち帰ってきてメールを開発会社に投げてくれます。コレは1次受けのモデルですね。それでも一つ挟まっています。でもコレは理想型であって実際はもっといっぱい挟まっています。開発会社もSIerが挟まっていれば一つ壁が大きくなります。時間のロスは生の声を風化させるだけの力があります。生の声というのは生の声なのでロスすると取り返せません。

ちょっと宗教的な、と言うか思想的に偏ってしまうかもしれませんが、ボクは言葉には力があると思っています。
力のあるというのは不思議なもので、空気感や匂いや重みやその他様々な感情を含んでいるような気がします。含んでいると言うよりも含まれてしまっているのだと考えます。書面にする事で、その時の顧客の伝えたい空気が伝わらない事もあるでしょう。議事録を読むだけでは一体どこが緊急なのか見えない事が良くあります。
電話一本で『ああ、なるほどそう言う事ですか』と言うような経験がみなさんにあると思います。公私問わず。
その、電話一本が掛けられないですれ違ったままプロジェクトを進めざるを得ない事は結構なダメージではないかと考えています。
例えばあなたが鏡も証明もない暗闇の中で服を着ています。その服にはボタンが何百個と縦に並んで付いています。そのボタンはとても小さく、しかし目立つ形をしています。しかしその服を着ないとあなたが表に立つ事が出来ません。勿論誰かと会う約束があれば時間内に着なければいけません。あなたは頑張って着ようと努力します。でもそれほど複雑な形をした服を着ると、どうしてもボタンが一つや二つ掛け違えてしまう事もあるでしょう。しかし縦に並んでいるので、掛け違えると大変です、もうそこから先は全く不格好鳴き立てになってしまいます。でも、残念ですが、鏡もなければ部屋も暗いので、その掛け違いに気がつく事は出来ません。そのままリリースするのです。
外に出たら笑われますが、持ち前のスルースキルで後は言及を逃れる以外に道がありません。

結果としてどうでもいいエントリになってしまいました。
でも、エンドユーザーと開発者は殆どの場合、理解し合える事は少ないです。その上で顧客への接し方などを模索するべきではないか、とボクは書きたかったのです。
誰も万能ではないので、その『かい離』について指摘して声を大きくする事は出来ないと考えます。

でも、まぁ、だからってエンドユーザーをないがしろにして良い、って言っているわけじゃないですよ?
きっとそのうちまた書くと思います。

なんだかとっても無味乾燥なエントリになってしまった。

#090 開発の現場から 【開発者と開発ツール制作者の意識のかい離】

いくつかのステップをふんで、表題の【開発者と開発ツール制作者の意識のかい離】を書こうと持っていたが、何度も草稿を心の中で繰り返し作成しているときに、不足事項は補足やコメントのリプライで繋げばいいと思った。だから今回は純粋に何がどんな風に僕自身が『どういう人が現場での開発者なのか』また、『どのような人が開発ツールの制作者なのか』と言う事から話していこうと思う。
そこから、絶対的にかい離する原因になっている溝を少しでも感じて貰えればと思う。

・開発者とは
此所で言う開発者は、現場におけるプログラマとシステムエンジニア、とにプロジェクトマネージャー(もしくはプロジェクトリーダー)を差す事にする。プリセールス、デザイナ、営業は外す。デザイナは限りなく開発者に近いが、後述するエントリに影響するので特例とさせて頂きたい。
それからこれから先のエントリでは毎回この開発者の定義を変えたいと思う。
コレは日本語的に開発者と言う事場のクラスが実装すべきメソッドがエントリによって変わる事に変わる。少々ややこしい言い回しになってしまうが、赦して欲しい。
開発者とは、プロジェクトを実務レベルで進めるプログラマ、システムエンジニア、リーダーのひとかたまりをさす事とする。

・開発ツール制作者とは
大枠でとらえると言語策定者、言語仕様創造者(アーキテクト)、またはVisual StudioやeclipseやNet Beans等に代表されるIDEのコミッタ。または各言語のフレームワーク開発者などもここに含める事にする。
日本で有名なのだとPHPのSmartyや、JavaのSeaser2や純粋言語としてはRuby等になるのだろうか。彼らを開発ツール作成者と呼ぶ事にする。
『開発者』を定義した後だと随分具体的な代表例となったような気がする。

さて、まず絶対的に違うのは分母の数である。
可用性のある言語を策定することや、新しい言語を開発するツールの作成者は、それとツールとして使って新しいシステムを作る人間に比べて数が少ない。開発ツールの制作者は開発も同時にしている事もあるので、どう考えてもその数は少ないと考えるのが当然だと思われる。
分母が違うと、そこには遊びの余裕がどんどん無くなっていく。勿論多い方が、同じだけの容積があるとすれば詰まってくるのが正しい。少ないほどに余裕があって自由であり、狭い世界を歩く事になる。
結果から言えば、開発ツールの制作者は孤独であり、孤高であり、開発者からの羨望と嫉妬を一新に受ける事になる。
具体的には、『この仕様、凄い』『便利だ』と言われる反面『ダメだ、バグが多すぎてつかえね』『この仕様じゃ実装できる機能が少なくない?』『難しすぎて訳わかんねー』とかといった二面性を常に一心に受ける事になる。
会社に属し、仕事として言語策定をしている人間であれば、ある程度は会社やチームが吸収してくれる事もあるだろうが、多くの開発ツールの制作者は孤独であり、独りで、まるでボランティアのようにしてやっているという現実がある。
コレはどのプラットフォームでも同じ事が居るだろう。
横道に逸れてしまうが、ペイントソフトやリモートソフト等、高等技術を駆使するフリーソフトを世に出している素晴らしい技術者も開発ツールの作成者と纏めてしまっても良いだろうと思う。ただ、園田レモが、割と例外なく孤独であるように思う。
制作のスタイルにも問題があるとは思う。
それは彼らが自分自身に対して大変に厳しく、そして我が儘であると言う事が言えると思う。
妥協が許せず、自分が一番である事を信じて疑わない。
人と協業してバグを一つ増やすよりも、仕様を小さくしても完璧なモノを目指す。そのような姿勢が見えるような気がする。
しかし、開発者はそのようではないと思う。勿論そのような潔癖な一面がある人が居る事は知っているが、決められた枠(言語仕様やハードウェア、もしくはネットワークの制限など、そして工数)の中で顧客が望む設計図を制作し、ものつくりをする。
そこにはエゴイスティックな側面よりも社会人として会社のために仕事をするという責務が第一に置かれているように感じる。
開発者が望む最終成果物は顧客のモノであり、自己満足するモノではない。常に先端技術を追い求めるよりも、安定版を使い、時にはデグレをしても正確なモノを世に出そうとする。
しかし開発ツールの制作者は先端技術をいち早く関知し、それをツールとして使える形にしようと苦心をする。何十年も変わらないスタンダードとして君臨したSQLをなんとかしようとBigtableをスタンダードにしようとしたり、10年前には全く現実味の無かった仮想化を仕事で使えるレベルに引き上げたりする。(仮想化自体はもう何十年も前からしそうとしてはあったはず)VMは今では当たり前だし、それ無しに業務システムの構築は出来ない。JavaやFlexはVMの良い例ではないかと思う。それ以上のモノはないのだし。

しかし、事実としてJavaが出た当時に、あまりの動作の重さに誰もそれを業務で使おうとはしなかった。VBやC++で書かれたクラサバが主流だったし、実際にそれで不都合だった事もない。
つまり、開発者はそんな不安定な最新の技術よりも少し不便でもバッドノウハウのあるレガシー名技術の砲が顧客に最適なソリューションだと考える事が出来たからだ。
開発ツールの制作者達はそれでは面白くない。
世界は自分か築いた周辺だけで終わってしまい、それを使用されない社会では自分のエゴが通用しない事を突き返される事になる。
だから心の折れない開発ツールの制作者達は、開発者よりももっと遠くを見て如何にして『自分が開発者であったときにこのツールを選ぶのか』と言う事を命題に開発を行っているように感じる。
使命感とでも言えるかもしれない。

さて、つまり開発ツールを思案している種類の人間は開発者であると同時に、自分自身を表現するパフォーマンスを行っていると考えられる。
どの辺り迄が世界であって、その世界を作るための社会をどの辺に置くのか、社会を感じている開発ツール制作者ほど具体的に夢を見ているように思う。
限界がどこであるのか、自分の中にしか持っていない。
開発者は、ツールの限界が仕様の限界が、顧客への提案の限界だと考えているように思う。だから、開発ツールの制作者に『もっと良くして欲しい』と言うのだろうと思う。

どちらが良いわけではない。
ただ、開発ツールの制作者の邦画より、現代のアーティストとして表されるべきではないだろうかと考える。

また、別項として【開発ツール制作者が本当に見たい夢】をどこかで書きたいと思う。
つまり、彼らが見ている夢は、彼らでは出来ず、開発者の誰か達に具現化して欲しいと思っているのではないかと考える。
『そう、おれはこのツールでこんな事がしたかったんだ』と言って貰える何かを作り出して欲しくて、作り続けるのではないだろうか。

#089 開発の現場から 【序】

BtoBの開発の現場に居る間に、忘れないうちに言っておかなければならないことがあると思った。

最初に断っておくとボクはUIについての仕事について従事しているので、画面側からのアプローチになるので、すべての意図は汲み取れないと思う。
それから、特に専門的な知識を身につけたわけではないので、専門用語や小難しい考え方や思想について書くことは出来ない。そのことによって見る人から見ればとても幼稚で平たんで奥行きのない文章になってしまうと思う。
もしかしたら心証を悪くする人もいるかもしれない。
そういう人たちにはとても申し訳なく思っている。
あくまで現場に居て思ったことをメモとして残しておこうと思ったことがこの文章の最初から最後までの一貫した哲学だと言う事を覚えていてほしい。
また、使う言葉は僕の感覚的なものがほぼ全てなので、うまく伝えられないかもしれない。前提条件はいっぱいあるけれども、書いておかなければならないと思った。一生懸命書いてみる。

序章に変えて。
開発の現場には空気感の演出がロマンチックな人間が圧倒的に居ない。
自分自身が、もしくはほんの目の前のお客様と、またはソースについてロマンチックな人間はとてもたくさんいる。
UCDという言葉がもてはやされているのは少し前の事だと思うけれども、空気感の演出が出来る人間はそもそもUCDなどを考えもしないだろうし、もしくは無意識で行える人間なのではないかと考えている。
空気感の演出とは、空間の演出とそこに介在する何かの化学反応を指す。
空間の演出と言うと、いっけんソフトウェア業界や、ビジネスの世界とは切り離された空間デザインの領域なのではないかという質問が出てきそうなので一言断わっておく。ビジネスの世界というものは、そもそも人と人とのつながりがあって初めて成り立つものであって、一人軍隊では意味を見つけることが難しい。一人オフィスで、顧客はスカイプの向こうに居る、という事があったとしても、顧客はスカイプの向こうであなたと同じように椅子に座って平たんなテキストのやり取りを同じように行っている。
平面を通して、空間がつなげている。
あるいは電話などはオフィスでしている電話と、駅のホームでする電話と、自宅で受ける電話では清涼も違えば、話し方も違うはずである。昔からTPOという言葉が使われていて、『常識的に考えて(JK)』当たり前のことを当たり前のように行っているだけだと思うだろう。
だけれどもそれは考えが少し足りない。
相手は同じところに居るかもしれないし、相手も同じように空間を移動しているかもしれない。同じような相手に電話をしているかもしれないが、相手は携帯電話のスピーカーを使わずにヘッドセットを使ってより良い通話環境を目指しているかもしれない。
あなたは同じように話すかもしれないけれども、多分無意識下で相手の空間を認知して電話について対応していると考える。それは相手側のノイズや、相手の声量等で判断するだろう。または、もしくは大きな声を出してほしくない場所に居る時は相手から注意を受けることもあるだろう。
それは、一つに相手も同じように空間があって、その場所とその人が火見づけられているからである。
目の前に居れば表情や仕草から様々な物事を想像することが出来、その想像によって自分が取るべき行動が決定されることを無意識で行う事が出来るだろう。
もちろんそれは大切なスキルであり、できない人もいる。

話はそれてしまったが、電話一つをとっても、多分思い当たる点はもっとたくさんあるだろうと思う。電話を主業務にしている方々であれば、僕の言っていることは間違いだらけかもしれないし、もしかすると、もっと違う目線を持つかもしれない。しかし、上記のことは僕自身が思っていることなので、きっとこういう目線もある。
大切なことは空気感であり、空間がそこにあると認知しているという事実である。
こう考えると、仕事場でゲームをしないことや仕事場にベッドを持ちこまないことは間違っていないのだと再認識できるだろう。(話が飛びすぎたかもしれない)

どんな状況に会ったとしても人は空間の中にしか存在しておらず、ヴァーチャルな世界と言っても限定的であり、飽くまでそれはその誰かのサブセットでしかなく、中の人しか顧客にはなりえないという事が事実としてあるという事になる。
またひとつ例をあげるけれど、Googleと言う検索エンジンについてのサービスを受注したとして。相手にするのは巨大なデータベースであり、膨大な情報を持っているが、お客様は検索エンジンやデータベースではなく、その膨大なデータを管理しているデータセンターのオペレーターやマネージャーを相手に仕事をする。
データベースのチューンアップ等を行う場合、もちろん相手にするのはデータセンターなのだが、データベースの要件の決定、仕様決定、承認や決済などを行うのはデータベースではない。担当者が行う。
データベースをお客様にしていないのに人間のフローが入ると言う事は、常識的に考えてその人に対して最低限のマナーなどを問われるだろう。
そんなことは当たり前かもしれないが、それは目の前に担当者がいるからだ。
それでは本当に少しだけ視野を広げると、毎日の業務の中でGoogleのテキストフォームに文字を打ち込む業務がどのぐらいあるか考えてほしい。
隣の人が自分と同じことをする動作を思い出してほしい。
その時に、そのデータベースはついにその担当者の手を離れる。データベースを介して、自分と隣の人の業務とが結びつく。全く社内的に関係がなく、プロジェクトも違ったとしても、自分が行うその業務は隣の人の業務について何らかのアクションを取らせるトリガーになる可能性がある。

話を戻して、電話やGoogleについて考えたとき、周りの空間について考える必要は全くないだろうか?
むしろ、考えない方が常識的に考えておかしいのではないだろうか?
受注した自分と決済担当者の二人だけで、プロジェクトは完結してしまっていいのだろうか?
ボクはここでの答えをノーと言いたい。

さて、そうやって少しずつ紐解いていきたいと思う。
以下の三つの項目について、いくつかのエントリに分けて書いていきたいと思う。

そして最初にボクからの一つの回答として、
『画面を作る人は、圧倒的に居ないし、そこについて人々はもっと考えるべきで、もしもそういう職業の人間が存在しているのだとしたらひと括りにデザイナと呼ばれている。だが、それは本当にそれはデザイナと呼べる代物なのだろうか?ボクはそこについてノーと呼びたい。今はまだその職業について名前がないのではない、というのが現状正しい解答なのではないかと思う』
としておきたい。

これから書いていきたいエントリ一覧。

【開発者と開発ツール開発者の意識のかい離】
【エンドユーザーと開発者の意識のかい離】
【開発者とデザイナの意識のかい離】

#080 取材に紛れ込んだり。ロージーの犬嫌い

ネットスターというBSでやっている番組があるんですね、僕は知りませんでした。
12/4の放送分でプログラマ特集というのがあるらしいんですが、そこで、ギークハウスが取り上げられるようで、枯れ葉も山のにぎわい、といった風情で久しぶりにギークハウス南町田に行ってきました。phaさんは相変わらずで、猫が増えていました。
糸柳さんが、猫のお尻を叩きまくっていたので僕もまねをして猫のお尻を叩きまくっていたら、超攻撃されました。流血が三箇所。僕がいけない。手首辺りに穴が開いております。

で、その特集で、いろんなものをとられたんですが、僕はポンチョにちょっと変な形の帽子と云ういでたちですので、僕がどういう人か知りたい方は、名前も出てきませんが一発でわかると思います。
我ながら自分の私服は酷いな、と思いました。
で、そのなんかレポートみたいなものは、犬の嫌いなロージーが仔細にまとめていたので、リンクしておきますよ。

閑話休題

人のことを書くのはあれなので自分のことを。
土曜日の夜に、バーミヤンで新しい小説に取り組もうと思って、バーミヤンにこもっていたのですけれども、あれはやっぱり毎日のように何かしら書いていないと全くできなくなるものです。鍛錬が必要。って、ここでも何度も書いている気がする。
でも、小説も、絵を書くこともプログラムも、料理も何でもそうなんだろうけれども、それなりに自分が満足するレベルって人によって違って(当たり前)だけど他人が納得するレベルって割と平均とれるんじゃないかなぁ、と思ったりしている。
どの視点でものを見るかとかそういうことはあるんだろうけれども、期待値を超えるところが満足点であり、その期待値は、そこまでばらついている印象がない。という結論。

個人的には顔を突き合わせて納得のいくものを作っていきたい人なので、すごく狭い世界の中で創作活動をしているのだけれども、いわゆるコンシューマー、というところを考えたときにそれは5人の時もあれば5000万人の時もあって、なんていうかな、『あまり流行らないだろうからこれぐらいにしておくかー』というのが通用しない世界なのではないかな。と。
だから、何が言いたいかっていうと、それでお金取ろうとするなら、すごく努力するか、開き直るかしかなくて。
そうじゃなくてコンシューマー向けと云いながら、自分のためにやるのであれば、自分のキャパをちょっと超えたあたりにある自己満足が達成されればそれでいいんじゃないかなって、思った。

何一つとっても、すべて詳しい人がいる世の中だから、それって結局その道の専門家には勝てない。でも、自分の好奇心とか、自己満足っていくらその人が専門的なものを持っていようが、個人の意識だから、自分にさえ負けなければ負けないと思うんですよね。
それこそがまさに自己満足で、こういう長文もそのためにあるのではないかな、とか思ったりしてて。

ロージーは犬嫌いだけど、僕は犬が可愛いと思いますよ。
僕は猫は好きだけど、猫の毛とか、動物のいる独特の空気は、どうもアレルギーっぽいな、と思った。
うん。今日は月曜日だけど、明日はお休み。

おひるごはん。

#023 問題を整理

会社を休んで何をしているのか?と問われれば惰眠をむさぼろうか読書を仕様か迷っていただだけ。
最近は学術書っぽいモノを読む機会が多くてライトノベルに触れる機会が減っていたのだけれども、どうしても突飛な発想をする為には、背理法で僕は人外である。という条件をfalseにする必要がある。
いつの間にか出ていたブギーポップの新刊を読んだら、どうも話が上手くなってきている傾向が見て取れて少し残念な気がした。
ライトノベルの素敵なところは話が素敵なこともあるけれども、その空気を読ませるということにつきるのではないかと思う。
ノンフィクションが現実を読ませるように、ハリウッドが夢を見せるように。
ライトノベルは感覚を、何となくを見せるモノ何じゃないかな?と思った。

閑話休題

会社を休んだことによって読みかけの本を整理してばっと読んでしまおうと思ったのだけれども、雨が降ってきたこととばっと読めるようなそんなライトは書籍が読みかけのタスクにないことから今諦めた。
しかし、僕がここ最近取り組もうとしていることは、自分自身に対して問題を定義することである。
会社の斜め向かいの露出狂(!リアル)は『定義じゃなくて提起じゃないの?』といった。僕は彼を尊敬しているけれども、コレは未だ問題ではなく、その問題を定義する為の文章であって、誰かに対して提起する為にあるのだという風に認識する。
コレは未だ問題のレールの上にのっていない。

実現したいことは4次元をコピーすることとである。
そのために、まず最初に知覚している2次元をコピーすることを考える。
具体的な手段とテクノロジを考える。
コレは詰まるところ基礎的なテクノロジやアーキテクチャを考え、単純な式とする作業ではなく、
実数を使って、いかほどのモノであれば生データを取得出来るのか?という計算をしてみたいと思う。

二次元のコピーについて僕は2つの実現方法を仮定して考えてみることにする。
1.知覚する先にある分子の位置情報について位置情報を二次元的にデータ化すること。また、光源の位置とその香料について情報を付与すること
2.その瞬間の光子の位置情報をデータ化すること

その上でいくつかの前提条件がつく。
・ガラスレンズは使用する必要がない
・記憶素子が分子よりも小さいこと
・2の場合は光子を判別出来る素子を持っていること
・シャッターという概念は実際的にはないと言うこと

問題が散漫になってきたが、このまま書き終わらないとこのエントリは消されてしまうので続けて書くことにする。
まず1番の方法についてけいさんをはじめるが、
ちょっとしたことが疑問になってきて、出来ないでいる。
大きさの単位がわからない。僕の無知さ加減が、うう。
ということで、実際の試算は次回に持ち越す。

想定するサイズはA4のチラシの複写、にします。
まずは小さいところから。

#021 僕の夢は四次元のコピーを見る

符号化することによって我々は簡単にどんなモノでも正確に伝達出来る装置を作ることに成功した。
完全なコピーとは、そのデータが劣化しないことに由来する。
コピーのコピーは劣化しない、この現象は、まるで劣化していないことのように思うけれども、実はそうではない。
今耳元でなっているこの音楽だって符号化された0と1の記号でしか無く、自分たちが目にするのは0~Fの16この記号だけだ。
あとは、どこかがどうにかなってオンとオフを切り替える。

詰まるところそもそもこの世界というのはシャノンが考えたこと、または多くのコンピューター技師によって作り出された、符号化されたかなりマクロな世界だといえるだろう。
我々が生きている四次元はデジタルデータにされる際に、多くのデータを欠損し、詰まるところ劣化する。
劣化したモノのコピーが劣化しないことは照明されているが、実際に昔の科学者は逆の発想、・・・つまり今の馬鹿な僕の戯れ言と同じように、四次元そのものを圧縮しようとした。
僕は、圧縮なんて事は考えずに、この空間を、そのぺらっぺらの一瞬をとらえることさえ出来るのであればRAWデータでかまわないと思っているが。
昔は意味を伝えることが大切だったが、意味のないことの連続であり、この世界というのは無意識で成り立っているのだとしたときに、シャノンが考えたように、一見無意味であることが意味を内包していて、その外側を符号化することで、意味も含めてしまうことが出来ると考えることは、結局の所間違ってはいなかった。

現在のテクノロジーは1950年代から考えても相当進歩しているといえるが、どちらかと言えば符号化が進み、ノイズを減らすことによって帯域を効率よく使えるようになったという、詰まるところ大昔のテクノロジーのりぷーレースでしかない。
量子コンピューターがばかげていると考えられているようだが、それは現在の符号化テクノロジーが根底にあり、計算や意識というモノが置換される先が底に凝り固まっているからではないかと考える。
われわれは、シームレスに日常を生きていることで、わすれているけれども、我々の視覚は60万色ほどを補色しており、秒間に24フレームほどの動きをとらえている。
ただし、それは不連続なモノではなく、脳の処理速度とは別に、世界はもっと普通に連続的に動いている。
だから僕が思うところ、容量は反比例的なカーブを描いて飛躍的に大きくなっている。
人間は、そのカーブについて何の意味を感じているのかはわからないが、それはやはり、その一つの世界を封じ込めるところまで着始めている。
ホログラム技術について、12センチのディスクの限界が1Gバイトだと言っているが、われわれが、本当にとらえなければならないRAWデータは、そのいっしゅんは、1/5000秒等というような単位ではなく、電子の動くスピードを、光子そのものの動かない座標を記録するところからもう一度始めるべきではないだろうか?

会社の先輩の篠崎さんは、『ハードウェアに比べてソフトウェアは本当に遅れている』といっていた。
なぜか?
それは、ハードウェアは必ずオブジェクトであり、ソフトウェアは、祖結合かが出来ないからだと言うことに起因しているらしい。
ハードウェアのスウィッチが、接続がもっと明示的にソフトウェアの中に組み込まれるとき、簡単に欲しいモノはプログラマが作る必要はなくなり、そのような職業はなくなるのだろうと思う。
しかし、コンポーネント(オブジェクト)は人々が要求するのだろうし、そうなったときには、今よりももっと深い原始的なプログラマーが必要とされるだろうと考える。
プログラマーは符号化された世界では、魔法使いである。

話がそれてしまったが、特にコレはメモであって、後でまとめる気もないからいいと思うもう少し進めてみよう。
先ず仮定の仮定の仮定の・・・ずっと元になる家庭となる問題を考えなければならない。
その妥当性について検討し(基本的には駄目だろう)問題化出来るかを探る必要があると思われる。

僕が起きているうちに、僕は4次元、この世界のコピーを見てみたいと思う。
そのために必要なことはオブジェクト的な観点でもあるが、そのように作られたモノではなく、完全なコピーであると言うことは、オブジェクトは当然オブジェクトであり、こっちとあっちがあり、それらは当然のごとく全ての課題をクリアしているはずである。
何もないことを作ることよりも、難しくも簡単でなく、四次元をコピーすることは、光をコピーすることであるのではないか?と僕はそう仮定する。

#020 問題を定義したい

問題を定義したいがために、これから個のブログではちょくちょくこの話題が取り上げられることになる。

・無意味さを考えると憂鬱になるだけだ。
何もない世界において、何もないということがあるということが証明されることはないだろう。
あるということが偶然であって無いことの方が多くのことで自然であるのだと仮定したとき、
ないことが自然であれば我々がイレギュラーであり、そのイレギュラーなあるものをとらえようとすることは非常に難しい。
イレギュラーなものには偽物しか作ることが出来ない。
(完全コピーというものが不可能である、と仮定する)
・完全コピーが出来ないということは事象として無理であるということであって、視覚的、または知識的にはそれを日常のものとして行っている。
Aという文字があったとして次に書くAという文字は字形や意味性や信号が同じであるが、非常にミクロな単位でみると
発する信号の形が違い、そもそも、発せられる発信源。(これが電子媒体であるならばGPU→モニタ、紙であるのであればインク)
それらは一件同じように見えるが、見えるだけであり、多くの情報が欠落した記号として目の前にAという文字が浮かんでいるだけである。
AというものはAにという意味性しか持たないということが最も重要視されるべきところであり、
けれども、原子、もしくは本当の意味での3次元の切り取り、もしくは3次元をスライスした2次元の基地とりを行う際には莫大なエネルギーが必要となると思われる。
我々は動いている。

・完全複写を行うためにいったいどのような装置が必要であるのか、考えてみる。
僕が思うところ、問題はまだ定義されていない。
符号化をすることで情報は我々に的確な意味をもたらし、ロスをなくし、ロスは削られることによって、
『完全性』という神話を築いた。
だが、その完全性はあくまでも完全的な模写でしかなく、
例えばこれから題材として取り上げるカメラについての重大な欠点について、
本当に欠点であるのかないのか?
そもそも問題はどこ個にあるのか?
その問題を解決することはできるのか?
僕は何を見せたいと思っているのか。
箇条書きから始めようと思う。

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