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#102 就業形態について

これからの就業形態について悩んでいます。
なんとなくでしかありませんが、『ずっとサラリーマン』というのは自分には合っていないのだと思います。
それは仕事の仕方であったり、雇用主との関係ということもあるのだとは思いますが、『まず仕事ありき』という考え方は『まず会社に属すること』と多少の矛盾を含んでいるのだと思います。
『仕事』は必ずしもクリエイティブなことだけでは無いと考えています。『仕事に支障があるから遅刻しないようにしよう』『仕事の同僚に迷惑がかからないように自分のタスクを片付けていこう』という考え方と、『会社が規定している定時があるから遅刻しない』『会社の為にスマートに作業をこなす』という考え方は、行動としては結果同じですが、まったく思想が異なります。
僕は前者において動いているため『会社のため』ではなく、あくまで『自己実現のための手段』として仕事を定義しているような気がします。

不労所得や、宝くじなどを僕は別に求めていません。
あくまで、自分の手が動いていることが重要だと考えていますし、それを当分辞めるつもりはありません。
ニートになりたい!と言っていますが、冗談です。
『やりたいことやるんだ!自由にやらせてくれ!!』という人を見ると、うらやましく思います。僕は特にやりたいことが見えていません。その上、自由という定義が自分の中にありません。

9月末をもって、現職をやめようと考えています。
と、なると10月から仕事がある状態にしないといけないのですが、そこで悩んでいます。
自分をとってくれるところ、という考え方もありますが、自分が仕事ができる場所であるのであれば、独立ということも真剣に考えています。
全く正社員という選択肢を捨てたわけではありません。
自分がどうなれば自己実現するのか、そのことについて非常に自分で疑問なのですが、決断のときだけが迫ってきています。

(1) 個人事業主としてパートナーで入場する
(2) 中途採用
(3) 派遣社員
まぁ、ふつうですね。
少し長い目で独立を考えるのであれば、多分(1)か(2)が正しい選択なのかもしれないと思っています。
どちらも少しハードルとしては高いですが、不可能では無いと考えています。
例えば、ソーシャルのFlashエンジニアとして。例えばFlexのエンジニアとして。RIAのUI開発者として・・・

うまく言葉にできないのは、独立を前提に考えていると、どの形態がもっとも望ましいのか自分でうまく租借できていないところだと思います。
話は繰り返しになりますが、やりたいこと、自分にとっての自由。そういったものを30歳までに見つけたいと考えています。
はてなの方がGREEに転職されたりAWSの書籍を書いた方がサイバーエージェントに行かれたり、といった話題でITの業界の人材の再編が加速しているような気がします。
僕はほんの小さい存在かもしれませんが、どんなプロダクトでも何らかの形で参画する以上、世界を構成する一人であると、自負しています。

たくさんの不勉強で不真面目な自分はいますが、『会社』よりも『仕事』に対してだけは真摯な態度で臨みたい。
その場所を自分で用意する勇気が自分にあるのか、それとも、どこかの会社さんで用意してもらえるのか。
まだわからないですが、ここにひとつのメモとして、足跡として残したいと思います。

もし何かご相談などあれば、仲良くしていただければと思います。

#084 口内炎

小さな頃、父親が口内炎で口が開かなくなったことがありました。
摂取できるのが液状のカロリーメイトだけという非常に酷い状況だったことを憶えています。
小さいボクは、そんなことを構わずにレガシィに乗り込む父に何か話をねだった気がする。
筆談で、いってきますと書いてくれた気がする。普段笑わない父親が何か笑ってくれた気がする。
ものも食べられないほどに疲れている中で、何も考えなしに父に近寄っていって、無邪気としか言えない自分の相手をしてくれた父親が、いまになって精一杯父親なりに接してくれ亭なのかな?と思ったりした。

いまは、母と離婚してしまったし、子どもは3人とも家を出ているので、実家には父と、父のお父さん(ボクのおじいさん)のふたり。
でも、家は二つあるので、たかが30メートルほどの距離だけれども、離れて暮らしている。
当時の父は、バブルの真っ直中、良い時代だって事もあったんだろうけれども、それでも一生懸命働いていたような気がする。
おじいさんは割と凄い人だったみたいなので、その辺は家の事業と言うこともあって色々負い目も感じていたのだろう。
何より父は人の上に立てるような人ではなかった(性格的に)
最近父親のことを考えると、単純に余裕のない人として、ばっさりだったんだけど、自分が口内炎になると、その時のことを思い出す。
父は子どもが好きじゃない。でも、自分なりに一生懸命いろんなモノに折り合いを付けようとしていたのではないのかな?と思う所が父を一方的に責める気になれない最大の要因だな、と思う。
変な話、ボクだけが父の味方、と言うような見方があるようだ。

そんなことはないんだけどね。
父は苦手だし、弟もそんな好きじゃない。
期待に応えられない自分がいけないのだ、と言う言い方もあると想う。
言い方って言うか、考え方か・・・。

ボクは口内炎や体調不良になったら、自分に素直だから会社を休むし、出来るなら、引きこもろうと想ったりする。
しかし、ボクが居なければ困る人というのが居るわけで(勿論代わりはいるだろう)でもそう言う人を困らせようと思っているわけではない。自分に驕っているような気もする。
でも、驕っているだけなら、いいなと思う。ボクが居なくても、何とかなるのは解るけれど、居なくても良いという環境が一番良いかな、とかね。

結局のところ僕も父親に似ていて、そんなに人に好かれるようなタイプの人間ではなく。
ただ、違うのは、ボクは別に好かれなくてもいいと思っているところで、父はどこか諦めキレていないような節があるところかな・・・。
ま、親子だから。

閑話休題

思い出を語るには、随分早いかな、と思ったけど。
思い出したときしか、きっと話せないな、と思った。
今のところ実家に戻る気はない。
でも、もしも和歌山でいまと同じような仕事が出来るならどうだろう?
でも、いまと同じ仕事をする気はないかぁ・・・(苦笑

ごめんね、ありがとう、おやすみ。

#076 HP mini 5101 買った。

ずっと気になっていた HP mini 5101 が届いた。
ネットブックと呼ばれるモノはコレで二台目。
一台目は初代アスワンで、友人に引き取ってもらった。
アスワンはEMOBILEとのセットだったので3万円しないぐらいで買ったが、今回は送料込みで94500円。
ネットブックというカテゴリにしては非常に高い買い物。
SSD128Gのモデルなので、25000円ぐらいは其れの代金で、OSが二万ぐらいだと考えて、ま、そんなモノか。

届いて嬉しくなっちゃったので、フォトレビューします。

外箱
こんな感じで箱が二つ届いた。
開けたところ
箱を開けたところ。HPのマークが輝いている。
内容物
内容物その1。
内容物
内容物その2。

でんち
で、6セルの電池を買った。コレが一万ちょっと。一応公称10時間。
多分持たないと思うけれども。
比較
左から、ソイジョイ、6セルパッテリ、4セルバッテリ。
比較
ちょっと厚いです。


キーボードは独立しています。

非常にLEDが美しいです。

X60との比較。

作業机の様子。

X60は、windows7RCがはいっているので、ソフマップに下取りです。
もうこれ以上おけないし。
眠らせておいても可哀想だし。

windowsアップデートなどをして思った事。
・キーボードは悪くない感じ
・タッチパッドはちょっと諮問が気になる
・そこまでもっさりした感じはない(アスワンと一緒)

何日か使ってまたレポートしたいと思います。

#074 夢のある仕事

最初に断っておくと非常に読みづらいエントリになると思うから、読まなくていい。

夢のある仕事についてどんなモノを思い出すだろう?

『アーティストに何故なれないんでしょう』というtwitterのPOSTに対してなんらかの返事をしたら、
『何でもいいんです、アーティストになりたいんです』とリプライが来た。
正直震えた。

そう、アーティストとは本来何にでも当てはまる言葉であって、アートという枠はまぁ誤用と行っても差し支えない。
デザイナにも同じ事は言えるが、コレはきちんと行動規範をつければ済む話なのでちょっと今回はボクの本業については置いておこうと思う。
絵と漫画と仕事の雑記 - 電話終わった
をよんで、この人のこともこの人の漫画も知らなかったんですけれども、激しい心の震えを感じた。
ここのところよく感じる種類の心の震えだ。
編集者にでも著者にでも無く、僕自身にオーバーラップしているわけでもなく、この、この漫画を作っているという環境についてとても感銘を受けた。そして、それは、アート以外にコメントのしようがない。

流れ出るどうしようもない出力したい力

についてボクはよく考えるのだけれども、ボクのモノはほんの小川のようなモノなので、普通の一般的な社会人生活が送れる。
つまり、ボクは未だ社会人の側にいて、その生活を捨てて何かモノを表現しようとは思わないこと。
ボクはそんなに多くも少なくもない給料をもらって、何とか都会で生活をしている。
基本的にボクと言う個人以外の支出は家賃などの諸経費なので、給料の半分ぐらいは自分自身が使える可処分所得になる。
(半分は言い過ぎか。不可侵条約によってランチは食べる。だいたい月に二万円)
で、残りは使わない文で、一応貯まっているという形を取っている。

さて、しかしボクだってモノを作ろうと思ったときは必死になる。
ボクはプロではなくアマチュアなので、人脈もなければ当たればラッキーぐらいの感じで、知り合いに頼み込んでいく。
おっと、ちょっと、なんの話をするのか先に言っておかなければ分からないので、とりあえず一番直近の院の卒業制作については無そうと思う。
細かいお金の動きは全く覚えていないが、インスタレーションをやった。
何だかんだで四〇~五〇万は使ったと思う。
自分のエゴのためだけに、キャストで出てもらった人は、ノーギャラだし、衣装の制作や機材も材料費のみで加工賃は出来る限り出来る人に頼み込んで(もしかしたらボクはへらへらしていたように見えたかもしれない。でもホンキだったんです、そう見えて不愉快になっていたらスイマセン)加工してもらった。
セッティングには延べ20人ぐらいが手伝ってくれた。
特に衣装作成を手伝ってくれた人にはこれ以上ない感謝の意を今更何らかの形で示したいのだけれども、正直、それはやっぱり表現で返す以外にないのだな、と思って居る。

つまり、殆どが原価と、スタッフさんの一部の飲み食い代だけで作られているのに、ゆうにボクの二ヶ月分の給料を使う結果になっている。
結局、こういうモノを作って自分をがむしゃらに表現しようとしても生活できないのだ
だから、自分を押し殺して社会人をしているのか?と言うと、そう言うわけではない。
ボクの場合は、特に作りたいモノが、ある一定の閾値を超えてぷつんと切れることから短時間で作ってしまわなければ自分自身が冷めてしまう。と言う、何ともアーティスト向きじゃない冷え冷えした性格なので、今のような生活は別に望んでいないわけではない。
しかしモノを作るというのは冷静な立場にいる必要もあるので、そう言う意味では上記の制作は四ヶ月ぐらいはかかっているので(実制作は一月もないけれど)その間自分の情熱が、ぶれたり変な方向にいかなかったのは凄いな、と純粋に思う。

で、何が言いたかったかというと、夢のある仕事を生み出すためには、夢のない仕事をしなきゃ行けなかったり、その仕事は社会的には仕事とは呼ばれなかったりするのではないかなと思ったりする。
中村珍さんのような人は沢山いるのかもしれないけれども、こんなにも、自分自身のあり方を文章表現にして、心を振わせてくれた人は居なかったので(何度でも言うよ)とてもとても、こういう人が居るから世界は素晴らしいのだ。と認識した。
ただ、ボクは表現は上級賭博ではないと思っている。
コレはボクが多分職業的アーティストではないことに大きく起因していると思う。
ボクはその賭博の外にいる。
そして、その外にいることを望んでいる。
同時に、もっといい生活も、安定した収入のある仕事も、きっとあるのだろうと思う。
でも、そう言うモノもお断りだ。

いまの仕事について、色々不満はあるが、ボクなりに普通であれているのではないかと思う。
ボクが生きてきた中で、この二年は最も人に迷惑を掛けないで済んでいる時間何じゃないだろうか。
誰かを傷つけることもなく、泣かせることも、我が儘に付き合わせることもなく。
あったとしても、それはボクと同じ対価をもらって仕事をしている人たちで、ちゃんと社会生活を送れている人。
ボクは誰かの生活を保障するような仕事はしていないし、ボクがミスったらボクが謝ればいいだけの、こじんまりとした世界にいる。(一寸前からは責任範囲はちょっとどころではなく広くなっているのだけれども、誰かがミスった文はボクが手を動かせば済む話)
この状況が幸せなのか?と聞かれるとそれははなはだ疑問である。
でも、珍さんのように、もしくは多くのアーティストが、特に職業アーティストが感じているボクのような『社会人』との感覚の乖離を感じながら生きていきたいのか?と思うと、それもノーである。
憧れる。でもそこまで。

森博嗣は研究が第一で、小説はお金を生むツール。と言う位置づけでクレバーに書いた。
ボクはそう言うのは全然嫌いじゃない。
才能とか、時間がないとか、そう言うことを言う人が居るけれども、それは違うと思う。
人気作家になるのは大変だろう、モノを作って其れで生活するというのは大変だろう。
でも、それは其れこそ賭博だと考えてやっているからではないだろうか。

自分が漫画家で居たいと思う。だから作る(中村さん)
自分は研究職だが、趣味の模型はもっと本格的にやりたい、だから書く。もうお金も貯まったし、そもそもボクの情熱は研究にあるだからもう執筆は辞める(森博嗣)

両方間違っていないと思う。

ただ、なんだろう。ボクだってもやもやしたモノはあるし、そろそろ焦りとかはなくなってきたけど、自分の時間を取って何かしらをこねくり回して形にしなければならないとは思っている。
そんなことを思わせて貰える記事だった。

#072 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 を見てきた

面白かったです。

まぁ、そもそもあまり映画を見ないボクは、毎日のアニメ視聴との比較しかできないので、一般的な映画的観点からものはしゃべれないんですが、それを差し引いても割と面白かったと思います。
以前のTV版はだるーくなる感じがあったとおもうんですが、今回のはそれが今のところないです。
気持ちいいぐらいあっさり結論が出ます。
ちょっと映像の方はグロイというか、かなりグロイというか、ボクにとっては単なるグロにしか見えなかったんですが。
グロいんですよ。ええ。
えーっと、グロさで言うと、Air/まごころを、キミに・・・ で見せたあのグロさでしょうか。

アスカが宮村優子で良かったです。
新キャラがピッコロ的立場なのかベジータ的立場なのか分かりませんが、とにかくエヴァに足りない要素だったのでよかったです。
台詞回しも、キャラとしてもかなり好みの部類でした。

いっぱい伏線はありましたが、次回に期待させる大いに満足させる出来だったかと。

最近、と言うかまぁ最近ですか。
ようやく文庫の戯れ言シリーズを最後まで読み、その前に1Q84を読んでいたりしたわけですね。
その前に読んでいたのは涼宮ハルヒだったり、ラノベだったり、タイトルは忘れましたが、とにかくここ何ヶ月か本の虫だったんです。
しかし考えてもみると、エヴァやブギーポップと言った一つの時代を象徴するセカイ系というカテゴリに対して、僕自身が浅はかだったな、と思う点が、今回の劇場版でありました。
西尾の戯れ言の語り部『いーちゃん』が、たかが十数人人を殺したところで世界は終わらない。と言うようなことを言っていたんですが、結局全くその通りだとおもいました。
ボクが何をしようが、誰かに影響しようが、誰かに影響されようが、事故というものがくっつけて影響できるのはほんのわずかな物事だけなんですよね。
そう言う意味ではブギーポップの世界というのはやっぱりセカイ系なのだな、と。
でも、エヴァンゲリオンはどっちかっていうと、フリーザと戦う悟空達、と言う典型的なヒーローものがちかいのですよね。
ただし、ヒーローものと違ってどのフラグを立ててもバッドエンドしかなかったり、自己中心的な視点でしか物語が進まない。
神の視点たる傍観者が居ない時点で、ドラゴンボールとは一線を画している。
でも、ブギーポップやそれに続くセカイ系の人たちとは違って、セカイは自分の手で壊すことが出来る。
全部主人公の手に委ねられている。

うーん。深いですね。
エヴァは楽しかったです。是非劇場版見に行くとイイと思います。
考察云々よりも、まずは物語が楽しい。

と、言うのが感想。

#071 自由になると言う事を考えていた

エントリがない月になりそうだった。
誰も読んでいないかもしれないけれども、一番気になっているのが自分だったりすることは事実なので、何をしていたのかぐらいメモって置いてもいいと思った。
書きたいことは山のようになく、
書きたいことを思い出そうとすると、実家の近くにかつてあったスーパーについて思い出す。
4階にあったゲームセンターで不良のお兄さんと仲が良かったことを思いだした。
彼は今何をしているのだろうか。
橋が出来たときにそこに不法に家を構えていた彼一家はどこに行ったんだろうか。
うちの区画も整理されたときにごっそり居なくなった彼らはどこに行ってしまったのだろうか。
母も兄弟も、そして自分の会社もなくなった僕の父はひとりぼっちなのではないだろうか。
過去の記憶を探ってゆくと、どんどん暗澹たる気持ちになる。
今日は土曜日で、明日は日曜日だ。
僕は二人で暮らしているけれども、其れになれてしまっているけれども、それは辺り前のことではないようなきもしている。
ボクはそもそも一人でひっそり活動したくて、何かをやるときにしか人とつるまない。
でも、実際はそんな風には世の中は出来ていなくて、僕は一人ではなく、ボクはボクの周りにいる人たちに支えられて、そしてお節介を焼いてもらっている。
それは自由じゃない。
でもひとりぼっちになることはきっと自由じゃない。
何かをしようと思ってもそこにはボクしか居ないから、そんなのは自由じゃない。

きっと、ただ寂しいだけだろう。

4階のゲームセンターから出てきた不良の兄さんは、どこかの誰かにフルぼっこにされていて、
『今日は行くな』
と僕に言ってくれた。
名前も覚えてないけど、たまにそう言うなんでもないことだけを思い出す。

5月、
結構本を買った。小説も、漫画も。
あと、サムスンの安いモニターを買って、未踏に応募して、初めてwindowsServer(IIS7)を触った。
今日、アンプシミュレーターを注文した。
ギターの弦を換えようと思ったけど、何かそんな気にはならなくて買わなかった。
折角去年の2月に気に入ったギターを買ったのに、一度も手入れをしていない。
一度もスタジオに入っていない。(教本も買っていない)
たまに気が向いたときに弾くだけだ。
五月、会社ではプロジェクトを5つぐらい行った。
GW辺りの暇さったら無かったけれど、後半の忙殺具合も暴力的だった。
凄く小さな言語仕様のアプリケーションも作ってみた。

あんまり思い出せることがない。

曇りで雨の、そんな窓から見える風景は、酷く今の自分を混乱させる。
実家に帰っても、もう見慣れた風景はそこにない。
どこに住んでも、どこでだれといても、違和感をおぼえる。
もうすぐ梅雨で、もうすぐ夏で、この酷くぼんやりとした気持ちはきっとそんな所から来ているのだろう。
毎年、毎日、同じようなことを言っている気がする。

26歳にしては随分幼い。

(BGM: QuietGarden / ろんこん)

#070 夢は夢のまま、心は心のまま

素直に生きることが出来ない。

ここにこんな事を吐露して何になるのか、僕にはよく分からないけれども、今の自分が、昔の自分と同じようにいつの間にかまた不安定なモノになってしまっているような気がして、落ち着かない。
僕が今直面している問題は、定量的に見れば凄く簡単にいくつかあげられるのだけれども、僕だけが抱えている問題ではなく、誰もがそうであるように、様々な問題と結びつき、またそれは様々な人々や現象と繋がっていることを意味する。
恋人のこと、仕事のこと、友人のこと、そしてその中心には自分がいると言うこと。
自分が蚊帳の外に出ることは怖くない。
自分が誰かから離れるのは怖くない。
僕はただ寂しく、表現という言葉を使って自分と甘やかしている自分が許せないだけ。

どうして人を傷つけることでしか人と向き合うことが出来ないのだろう。
どうして、自分にもっと素直になって、などと軽々しく自分は言うことが出来るのだろう。
どうして、僕はもっと人に優しくすることが出来ないのだろう。
どうして、もっと責任を持って自分を生かすことが出来ないのだろうか?

自分がこの先のプランを決めてしまっているから?
そんなのは言い訳だ。
例えいつ死のうと考えていても僕は当たり前のように今を生きているのであって、今何かをしなければ嘘つきだ。
本当にしたいことでなくても、望まれることをするべきなんじゃないかと思う。
生きている限り、その関係は続くのだ。
生きている限りその関係は続くのだ。
そして人に迷惑をかける。人を混乱させる、こんな僕は世界からもっと孤立した場所にいた方が良いんじゃないかと思う。
怖いと思う。
僕は混乱しない、誰かは混乱する。
そう言うことが、どうしようもなく、矛盾として僕を責める。

優しくしていたことも、気がつくとそれはいつの間にか刃のようになっていて、その人を苦しめることになる。
それは優しさじゃない。僕の過度な期待。僕の過剰な過信。重荷・・・。

それでも生きている。
生きていることでしか僕は僕自身を許すことが出来ない。
未だ死んではいけない。
僕は未だ生きている。そして生かされている。

例え、大切な人を傷つけても、僕は傷ついたような顔をしてはいけない僕のその傷ついたようなモノは嘘っぱちだ。
そんな顔をしているだけだ。
この嘘つきは、それでも死ぬことを許されない。
今のところ、未だ、僕は逃げることにしか死という選択肢を使えない。
全てを償うことは出来ない。
全てを正常化させることは出来ない。

誰も離したくない。でも、誰かは当たり前のように離れていく。
僕は握っても居ない手に、離れる感触を覚える。
さよならを言う暇もなく、彼らは遠くに行ってしまう。
もしくは僕が、遠くに行ってしまう。

大丈夫、少しの混乱だ。
僕は未だ、僕は未だ、きっと未だ大丈夫。

#068 エイプリルフールである

なので、好きな人に嫌いだとか言ってみたりするのが世の中であるらしいが、僕はそんなことをしない。

今日は結構多弁にしゃべっているが(会社でのことです)別にウソをついているわけでも出鱈目をいっているわけでもなく、たまたまよくしゃべらないといけない日なのです。
しかし僕自身のミスも大量にあるのでやはりそれは嘘っぽくなったり見えたりすっるのかな?とか思ったり。候。

候ってどういう意味でしょう?
 候には、もともと古い中国の暦で、360日(陰暦は一年が360日)を72等分した単位(5日間)のことを示すことばでした。今でいうと「週」みたいなものです。そこから「季節」「時期」という意味が生まれてきました。ちなみに候が二つで「旬」=10日間という単位になります。今でも一月を上旬、中旬、下旬と三つにわけるのはこの名残です。
 手紙などの冒頭の挨拶でつかうときは「~のこう」と読みます。「~というふうに季節もうつりかわってきましたが」というほどの意味です。なお候をコウと音読みにするので、「~」の部分も音読みにするのがふつうです。
 「更衣」はコウイ。衣替えのことで、本来は旧暦四月一日(現在の五月初旬)に春着を夏着にあらためた行事です。秋や冬にも衣替えは行いますが、古くから和歌のなかで「更衣」といえば夏のそれについて主に詠まれてきたので、「更衣の候」といえば初夏のことです。キサラギは二月のことで、更衣とはまったく別物です。二月は寒いので「着、更、着」(着物の上にさらに着る)でキサラギなのだという語源説がありますが、これは平安時代からある俗説で、まったくのウソです。「着」と二月は関係ありません。
 「霜冷」はシモビエでもかまわないでしょうが、「そうれいのこう」としたほうが音読としてはしまると思います。ちょうどもうすこし寒くなったころに使う挨拶ですね。
 時候の挨拶は「~の候、いかがおすごしでしょうか」あるいは「~の候、ますますご清祥のことと存じます」というふうに、つづけて相手の安否を問う書き出しにするのが作法です。この場合、私信ですと手紙のおわりに「なお末筆ながらくれぐれもご自愛ください」と相手を気遣う言葉を置いて前後照応させます。また時候の挨拶をつけるときには「拝啓」などではじめて「敬具」等でおわり、つかないときには「前略」などではじめて「早々」等でおわります。
 「みぎり」は「候」を日本語におきかえたもので、むかしは女性が手紙を書くとき、コウではいかにも硬いので「みぎり」と言替えて使いました。「そうしゅん(早春)のみぎり」でも今ではかまわないようですが、できれば音読みの言葉をさけて「はつはるのみぎり」などというのがもとの使い方からいってふさわしいような気もします。
 「~の候」というのはきわめて硬い言い方ですので、公用の手紙や目上の親しくない人でなければ「******となってまいりましたが」でおきかえるのが今ではふつうでしょう。
(おしえて!)

へぇ。

まぁ、なんてことはなくただただエントリしたかっただけなんです。
subversivePlugin入れるのってめんどうくさいですね。

#067 小説と表現活動と、仕事

小説を書きながら、表現活動をしながら仕事をしている。
仕事と行ってもサラリーマン側の仕事ではなく主にフリーランス側の仕事になるのだけれども、
でも、未だ実績というにはほど遠いほどのことしかできていない。
収入に結びついていないしね。

久しぶりに壁紙を作ったが、相変わらず僕にはメッセージ性というモノが皆無らしい。
それに感覚も忘れていて、何をどうしたらいいのかも分からなかった。
僕が一体何を求めていて、どんな制作スタイルを望んでいるのか、分からない。
でも、現状は打破したいと考えている。
現状の打破は自己の崩壊にも繋がる可能性があるが、そんなことは後回しだ。

小説が書き終わらない。
一応電撃(ラノベ)向けに書いているが特に設定なども考えていないし、また歯牙にもかからなそうだが、とりあえず今は作り終えることや作業を終わらせることに神経を集中させねばならないので、なんとしてでも、コレは書き上げなければならない。

小説・秒速5センチメートルを読んだ。
新海誠の世界観はとても好きで、ほしのこえのDVDはもっていたがいつの間にかどこかに行ってしまった。
でも、それよりも、どんどん、設定やそんなモノに頼らないで、・・・比喩表現に頼らないピュアな心理描写がダイレクトに伝わるようになってきているような気がして、苦らしくもあるが、とにかく、僕はこの人の作品が好き編んだな、と思った。
ACIDMANもすきだが、多分同じような理由だろう。

表現することにためらいがない

僕もそうなりたい。
何が必要だろう。
何もかもが足りていないから何もかもが必要だろう。

さて、明日からは仕事だ。

#65 supercell

http://supercell.sc/

amazonから、初回限定版が届いていた。
封を開けるのはもう少し後になりそうだが、何というか久しぶりにCDを買った気がする。
・・・とは行っても、何ヶ月か前にはかっているはずなのだけれども。

なんだろうな、自分に出来ないことは何一つ無いと思っていたけれども、
自分に出来ないことであり、自分に出来ないことはあるという認識をすべきことが必要だと思いました。
どうでもいいんですけど。ね。

初代アスワンを売って、S101を買おうかと思ったんだけど、ステッカーとか色々張ってるし、多分一円にも鳴らないので辞めました。
モバイル用のワードプロセッサとして一体何が適当なのか分からない僕です。

あ、今日のエントリに特に意味はありません。
ちょっとamazonから荷物が届くとうれしくなるだけです。

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