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Platoronical White Paper

#135 壊れた関係は戻らない、貼り付けて輝いてもそれは別のもの

タイトルを書いていて、みのりんのボールが大河のクリスタルに直撃してツリーが倒れてぼろぼろになるっていうエピソードがあるのをずっと思い出していた。そのあと、みのりんと竜二でそのクリスタルを黙々と直しているのだけれども、そのシーンの辛い事と言ったらなかった。つまりとらドラは、竜二支店の物語でしかなく、それ以外の視点で見ると、びっくりするほどの物語であふれていて、それをなんでもない日常的なこととして取り扱っていて、でもそれって自分たちもそうなんだよねって思った。自分には好きな人がいるようないないようなよくわからない状況で、困らせたりする事がたくさんあるから、これから先はあんまり自分から積極的にそういう話に乗っていかないようにしよう、自分も恋愛に引っ張られないようにしよう、と心に決めているのだけれども、たぶんそれは守られることは無くて、なんでかっていうと、やっぱり僕は恋愛をしていることが好きだし、それをやめたり止めたりすることはできないし、それこそ投げ出したりできない。そんなことをしているうちに何人もの人を好きになって告白して困らせて、とかっていうことをしていて、だけどその人たちの矢印が僕に向くことはないから、僕は自分自身でますます混乱していて、バカだなって思う。だから最近の僕は馬鹿で間抜けでどうしようもない。もっと考えて行動しろよって、自分自身に向かって何度も何度も気が違えるほどに言って過ごしてる。それでも多分いい方向には向かわないと思うんだから救いようがない。壊すまでもないような小さな種すら摘み取ってしまうから、僕は、どこにも今のところいけないし、自分自身がそれを望んでいない。ダメな男だなって思う。
まだおカフェが閉店するそうですね。
Diablo3を始めたんですが、ログインゲームに参加しているだけでまったくキャラメイクも出来ないです。なんだかな。
明日引越しの段ボールを外に出しておけば部屋はとりあえず引っ越し終った!という状態になるのだけれども、今度は会社からの書類とか持ってこなきゃいけなくて、割とそれが大変だなーと思ってる。
友達は16日から宮崎に行ってしまうらしく、18日のロケット打ち上げを見るそうです。うらやましいですね。いこう。って誘ってもらったのに、なんか仕事の積み残しが結構あって一緒に行けなかった。そもそもまぁ、少し休んだ方がいい時期ではあるのかもしれないけれども。
父親が死んで1年がたって、たぶんそのことに関してはこれ以上の変化はないと思う。
これからは僕がまた一つ一つ、確かめるように年を取っていくだけなんじゃないかって思う。
会社の事と、就職の事に関しては、次のエントリで書きたいと思う。本当はこのエントリで書こうと思っていたのだけれども、うまくまとめられる気がしない。それってたぶん、仕方のない事のうちのひとつなんじゃないのかなって思うのだけれども。
間違いなく書くから待っていてほしい。

#134 忘れていた手紙と僕のいく末、落ちていく体力、大人になるという事。

引っ越しをするというので、荷物を片付けなければいけない!と思って、分かりやすい粗大ごみを積み上げてみてどこかオブジェっぽい何かを作ってうむうむと満足げになっていたのだけれども、そんなことをしている暇もなく、本当にサッサとして手仕舞わなければならないでかいラックについてなどの中身をぶちまけていたのだけれども、100円均一で買ったのだろう、カラフルな縄跳びを見つけたので、おもむろに未開封のそれを開けて、家の前の駐車場で飛んでみたところ、あまりの体力の無さに愕然としたりなどした。びっくりするほどに縄跳びが飛べない、数年前まではハヤブサだってできたはずなのに、これが年を取るという事なんだな、と実感した。30を前にして既に30になった気持になってる、気持ちに負けてる、僕は気持ちが弱くなってる、メンタルがヘルスだ。いや、分かってる何も言うまい、僕がメンヘルなのかメルヘンなのは今に始まったことでないことぐらい知ってる。ちょっと気を使っていなかった、というのがちょっとどころではなかったんだな、と思って、愕然としているだけが。お昼ご飯を変な時間に食べるからお腹がすかないという事なのだ。多分。

いくつかの手紙が出てきた。はがきもあった、たった5年とか6年前の手紙なのに、プリクラは変色して色あせていた。
手紙の内容を見たら、僕が何故かラブレターを書いていたことになっていて、その返信だった、手紙の中で返事はOKをもらっていて、でも、そのころの事をよく思い出せない。そういえば自分の事を話そうとするとうまく話せない、どうしてもつっかえつっかえになってしまって、思ってもないようなことを口にしてしまったりする。手紙の中で僕はどんなことを書いたのだろう。その人からの手紙はまだほかにもあった。とても24歳ぐらいの成人男性が書くような内容の手紙ではなかったのだろう。けれども、それが届いてだから返事をくれて、そういう連鎖の中にいるのだな、と思うと生きていることが一体何なんだろうとか、うじうじ悩むことよりも行動してしまう方がきっと楽なのかもしれないと思う。
言いっぱなし、やりっぱなしは多分狡いと思うのだけれども、余裕が出来たら一通づつ、署名だけの手紙を書いて回ろうと思った。だって引っ越し先をかけばいいのか、引っ越し元を描けばいいのかわからないし、もしかしたら相手は僕の知らない誰かと結婚しているかもしれない。
出来るだけ当たり障りのないことを書きたい。
僕の記憶力があまりに悪い事で、自分がどんな言葉をとっていたのか思い出せないように、相手も同じように自分のとった紡いだ言葉が何であったのか思い出せないなら、それはパンドラの箱であけるべきではないのかもしれない。そっと胸にしまっておくべきものなのかもしれない。けれど、ペンをとりたいという気持ちが今の僕の中で強い衝動としてある事に間違いはない。
余りにも不相応なことを書いてしまったら、破って捨てればいいのだ。
僕はペンをとって、思うがままに何もかもが失ってしまったような気持がしていること、割とすがすがしい気持ちでいること、生活が不安なこと、その他いろいろを書いてみればいいのだ。多分。
30になる前にするべきタスクの一つとして積み上げておきたい。

The Everlasting Guilty Crown / EGOIST

#133 嘘をついたことはない、ただ黙っていただけ

またアニメが続々終わっていく。そういう季節なのだから仕方がないのだと言えばそれまでなのだけれども、季節の移り変わりをアニメで感じるっていうのはどうなんだろうって思ったりするのだけれども、人それぞれなんだから、別にだからそうだっていいじゃないかって、自分に向かって言い訳をしてみたりする。別に誰かがそれで困るというのなら、ちょっとは考えてみたっていいのだけれども、誰も困りはしない、せいぜい式の感覚を失った僕が人間味というものから薄くなっていくぐらいだ。存在が薄くなっていって、紙よりももっと薄いオブラートみたいになって、誰かの唾液で溶かされてしまうぐらいの炭水化物の膜になっても構わない。
ギルティクラウンが自分の中では今期は一番良かったのではないかと思っている、結局のところラグランジェとか撮っているけれども見終わっていないし、そういう作品が多分にあるため、何とも言えないのだけれども、あの中二くささはちょっとやそっとで崩れるものじゃない。世界観が確固としてあって、その枠から収まるように何とかしようとしているのだけれども、収めたくないのかおさまらないのか、曖昧になっているうちに、気持ちがぶれにぶれて、心理描写とか、決定力にどんどんかけていく主人公が、最後に掴み取ったものは、極限の中の選択で、それは、あらかじめ用意されていたレールのようにも思うし、本当にたまたまの偶然居合わせたことによって引き起こされた事象なのかもしれず、はっきりとはしない。でも、僕は彼は全体が意志を持つことは不可能であるがゆえに、その曖昧さを引き継いだ全体の代表として立っていたのではないかと思う。そして、性善説で世界は回っていて、それを曖昧ながら正義として、自分がどんな形かもわからず、ただ回ってきた役回りを演じることで精いっぱいであったのではないだろうか。故に僕は祈りは何らかの形で生きていると思ったし、そうであってほしいと思った。いろんなものを失った集は代償として手に入れた平和について、達観したなにかとして最後には描かれているように見えるが、僕には空虚な人形に見えた。彼は唯一の犠牲者だったのではないだろうか。性善説を信じるが故の矛盾、軋轢、そんな反作用をすべて引き受けたのではないだろうか。

まぁ、そんなことはどうでもいいのだけれども。
別に今に始まったことではないのだけれども、本を書いていて、本を書き終わった。
修正作業はたくさん残っていて、本としての完成度は著しく低いのだけれども、とにかく通して読めるところまでは書きあげた。久しぶりの長編で、つかれたというのがとても正直なところなのだけれども、達成感はある。できれば1次選考残ってほしい。線表が欲しいから。確立としては1割程度だそうである。
多分かぶってくる作品がかなりあるから、その中で拾って!と訴えかけられるものがあればよいのだけれど、と思っている。どうなるかわからないけれど。

ここ最近ずっと土曜日が雨で、だからあまり土曜日に来てほしくない。
家にいることが多くなって本当に良くない。
でも、なんか今日もこれから少し雨が降りそうだな、とか。
そんな。すいようび。

#132 元気すぎる曲を聴いても元気にならないぐらいには疲弊している

ネコミミアーカイブリモコンがぐるぐると頭の中で回っていて、もうそれこそ意味わかんない感じでぐるぐるぐるぐるしていて、僕としては別に日本で仕事ができればそれで幸せなのだけれども、いろんなことを見ると世界を見ることは別に自分にとって絶対にマイナスじゃないと思うし出来ればそんなこともしながらこれからの自分の事を考えたいなと思ったりもする。だけど、じゃぁ、なにがどうこうしてというのはあんまりなくて、というのは、やっぱり住んでいたいのは日本だし、日本のご飯が好きだと思うし、日本語が好きだし、その中での微妙なニュアンスとかで無表情に生きていくことができるならそれでいいと思っている。日本人って感情表現がへたくそだとか何とか言われるけれども、そんなことは全然なくて、含みを持たせているからおおざっくりな人たちが気が付かないだけなんじゃないだろうかと思う。わかんないけどね。そらるさんすきだし。ろんさんもすきだし、LIQU@さんも好きだし、そんなことを言っていると、好きな人がいっぱいいるんだな、片思い、と思って、よく考えるまでもなく僕は昔から片想いがすごくたくさんあって、もしかしたら自分が知らないだけで、片思いではなく両想いになれたかもしれない時だってあったのかもしれないけれども、そこはタイミングの問題で、どのようになるのかなんてその時は分からないし、どうアプローチしていいかわからないわけではないですか。人生にセーブポイントがあっても、僕はきっとやり直したりしないと思うし、今の辛い状況だって別に身体的に精神的につらいだけであって後ふたつきもすればどうにかなってしまっているはずなのであまり心配はしていない。僕を取り巻く環境は常に変化しているのだけれども、僕がそれに合わせる必要なんてないと思うし、合わせようと思う気持ちもない。ただ、嫌な思いをする人が居たら、辛い思いをする人が居たらいやだなって思うから、たまに意味不明な行動をしたりはするのだけれども、そんなこと関係なく僕は人を巻き込んでいくし、気づつけるし、壊しちゃったりする。でも僕は無表情だから、あーあって思って、お話はそこで終わり。
CDをかったり本を買ったりすると本当に元気をもらう。そらるさんとろんさんのHallowsは名盤だと思うし、あるうちにみんな買っちゃえ。羽月梨音の帝国シリーズもついに完結したし、今後どんな展開が待っているのかはわからないけれど、っとにかく素晴らしかった。何だろう、文章がうまい訳じゃないのに、読み手を引きづり込んでいくことができるのって、作者の力量なんだなって思わされて、脱帽させられた。

2月は本当に、本当に大変で、どうにかなってしまいどうだったけれども、ようやく終わる。
でも、とにかく本当に本当に大変だった。何がどう大変だったのかわからない程度に混乱しているし、きっとこの混乱は自分がすり減るから解いてみようという気にはならないと思うし、うまく語れる日は来ないと思う。ただ、疲弊したし、自分の無能さにあきれた。どこから見ても自分にしか落ち度がない期間を乗り切ることがどんなにもつらいことがという事は、本当に、辛いことだし、人が壊れていくことというのはこういうことなのかもしれないなと思ったりもする。でも結局生きているのだし、そう思うとなんだ大したことなかったんだなって思ってしまったりしてる自分が怖い。
大したことはあったし、自分を失いかけているのに、こんな乾ききった自分がいることは人間としてどうかと思う。

英語を勉強したいなと思う。
割と強く思っている。でも今は休むべきだし、まだ残っている案件をこなすべきだ。

#131 大丈夫かそうでないかと言われればきっと大丈夫じゃない方に入ると思う

仕事が終わらないとか、怒られるだけで何の成果も上がらないとか、そんなことはどうでもよくて、単純に自分がいろいろ遅いなって思って、その遅さにイライラして、でもどうしようもないから早い人のテクニックとか見て単純にすごいなーって思ってる。すごいなーと思うだけで自分は何の努力もしないしする気もないし、得ようともしない。本当に出来ない事だったら、真似をしてでもある程度取得しようとはするのだけれども、ちょっとでも齧ったことのある事だったら、基本的にはそれ以上はしない。全部自己完結して、出来るところまでの技術で何とかする。それで何とかなるし、きっとこれからもそうやって生きていくのだろうと思う。
別のところに書いたのだけれども、今日は風邪が強くて、空が高いからすごく外は寒いのだろうな、と思っている。
でもこういう天気は好き。自分は外に出ないけれども、窓の内側から寒い寒いと言いながら、ぼーっと何もない風景を眺めるのは、嫌いじゃない、というか好きなのです。無責任だし、そもそもそれについて何らかの責任を負わされることもないと思うから、純粋に好きといってもいいかなと思ってる。人間に好きっていうと、拒絶が返ってくるから少し怖いけれども、無機物か、もしくは風景に好きって言っても何も言われないから、ドキドキもしないし、代わりに傷ついたりもしない。好きって言葉は多分、ナイフみたいなものだったり鈍器みたいなものだったり、とにかくさまざまな方向から攻撃してくるから怖くてあまり使えないし、まぁ、使う気もない。愛してるって言葉は、自分にとってはやっぱり少し荷が重すぎて身の丈に合ってないように思う。

閑話休題。
温かい飲み物をとってくる。

ジンジャーティーというものの作り方がわからないが、喫茶店にそれがあるとつい頼んでしまう。面倒な時はブレンドの一声なのだけれども。何度もこのブログの記事でも書いたかもしれないけれども、八王子にパぺルブルクという喫茶店があって、そこのマサラミルクティーがとても好きだ。普段僕は紅茶やコーヒーなどの嗜好品にミルクや砂糖は入れないのだけれども、そこのマサラミルクティーにだけは、ついてくるシロップを全部入れて飲む。まだ同じ味に出会った事が無いし、多分きっとこの先ずっと、八王子のパぺルブルクのマサラミルクティーはパペルブルクでしか飲めないと思う。行かないうちに亡くなって居たらいやだな、と最近はそればかりを思う。
昔を懐かしむのは悪いことではないのだけれども、少なくとも僕はそう思っているのだけれども、ダメだっていう人がいる。でも別に僕はダメだと思っていない。恋に落ちやすい体質、つまりたぶん恋愛体質なのだけれど、小見川千明さんが好きだ。声優の。声を聴いた瞬間に、ああ、ダメだ、この人の事があまりに好きで、どうしようもない、と思った。多分価値観とか合わなくて喧嘩しないことが容易に想像できるのだけれども、そもそも出会うこともないから、言ったモノ勝ちじゃないかって思って書いている。会った事が無いので、思い出も何もないので、この話はここで終わり。好きだという事だけを書きたかった。

ところで僕はジンジャーティーの間違った作り方を持ってジンジャーティーを作っているのだけれども作り方を紹介したいと思う。
ティーパック1、ポット1、ショウガの厚めのスライス1。
お湯を沸かし、ポットにショウガとティーパックを入れて、お湯を入れる。色がついて、お茶が出たら完成。しょうが風味の紅茶っぽい何かが出来上がる。
手抜き過ぎる?ずぼらすぎる?別に誰かに出すわけではないのだし、いいと思うのですよ。このぐらいで。

そう、僕の毎日は大体このぐらいで回っている。
忙しさとか無縁で、毎日は自分のもので、だから必要以上に騒ぐことなんてないし、何かに気を使うこともない。人から見ればきっとストレスなんてないように見えるのかもしれない。まぁ、それはさすがに言い過ぎだと思うのだけれども。
スローなのにあっという間に毎日がおわってしまう。
僕にお祭りはいらない。

#130 自分の生活が今までと少しづつ変わってきているのかもしれない

クリスマスに独りぼっちだった。
イブは何となく一年の振りかえりをしたくて、お昼から女装をして4時間半にわたって生放送をしていた。女装する意味とか別になかったと言えばなかったのだけれども、今年のハイライトのひとつかな、と思ってやってやった。衣装が本当にないので、買うべきなんだろうなーと思った。普通のコスプレ衣装についても考えるべきなのかもしれないな、と思ったけれども、普段から軽く化粧しながら過ごすのも一つなのかな、と思ったけれども、システム開発の現場にいるのに、それはないわなーと思って今頭の中から日常的な女装はないなーと考えを消し去った。
生きていることと死んでいることにどの程度の違いがあるのかわからないけれども、『死にたい』って簡単に言っちゃいけないなって最近思っている。誕生日を迎えて29になったのはもう一月以上前なのだけれども、もうすぐ年末になって年が明ければもう30という数字が現実的になってくるのだし、大人になるというよりも、ナチュラルに死ぬ確率が高くなってくるわけで、自分から死にに行く必要もなく、市が迎えに来てくれるような気がする。別にそれは自分が望まなくても望んでも、同じように。生きながらにして死んでいることについて考えなければならないのか、と思うと億劫なのだけれども、生きていることは死んでいることと隣り合わせなんだと思いを変化させてみたら、成程そんなものなのだろうと、僕の中で、まぁいっか。となった。

クリスマスだったけれども何もなかった。毎年クリスマスは何かしら外に出て誰かと過ごしたりしているのが慣例だったのだけれども、今年はそれが無かった。まぁ、今から誰か探して恋人にしようっというモチベーションもないので、仕方のないことなのだろう。自分が望まないものは手に入らないよ、ということだろう。
だけど、一つ昔の自分だったら絶対にそんなことは自分に対して許さなかったし、自分がさびしくなるようなことは自分から排除するように動いていたと思う。だから一人にならないように自衛をしたと思うんだけれども、それをしなくなってしまった。だからタイトルに書いたみたいに、自分自身が生きているという事について自分が何らかのスタンスを変えようとしているのかな、と思った。
どんなふうに自分が変わっていくのかは、無意識の自分だからどうなるのかは本当にわからないのだけれども、きっと世界から少し距離が取れるような人になっていけるのではないかな、と予想している。今までだって随分他人との距離は決して近いものではなかったと思うのだけれども、さらにもっと遠い距離から他人と接することになるのかな。と
でも単純に今自分が疲れてしまっているので、そういう風に思ってしまっているだけなのかもしれないのだけれども。

世間や社会から置いてけぼりにされているような気がして、さびしいって思うことがすごく多いのだけれども、その寂しさについて考えてしまうのは、僕が暇していて、きちんと仕事をしてないからじゃないかなと思ったりする。
忙しさに身を置いて激しい流れの中に自分を放り込んでしまうことはまるで駄目な大人のようにも思うのだけれども、自分が望んでいるのはそういう時間との接し方なんじゃないかなって思う。
ただ、やっぱり一人じゃふとした時に孤独を感じてしまうから、誰かにそばに居て欲しいなって思うことは否定しないのだけれども。

そんなかんじで、メリークリスマス。

#129 インターネットの海さえ自由に泳げない僕は鳥になんて永遠になれない

11/29の深夜にこの日記は書いている。投稿されるのは11/30になるだろう。それはその程度の長文を書こうと思っているからだ。
11/29に何故かはわからないけれども、インターネット(光回線)が死んだ。それは当たり前のように、その時間に死ぬことが決まっているかのように死んだ。唐突に、そして突然にそれは僕の予想の遥か斜め上の出来事だった。だってインターネットの回線が切れる事なんて、自分が契約を切らなければありえないことだったから。そう、インターネットの契約をもうすぐ(元)が付く同居人が切ったのだ。自分が切ったのではない、だからわからなかったのだ。猶予期間として20時間ほどを与えられていたにすぎないインターネットの回線に僕はすがっていただけなのだ。しかしその回線は死んだ。前振りもなく、唐突に死んだ。何度も言うようで申し訳ないのなけれども死んだ。回線が死ぬことによって僕は多大で莫大な傷を負うことが分かった。自分の知らない誰かによって自分がこんなにも深く傷つけられることを知った。でも、だからと言って誰かを深く大切に思わなければならないという気持ちは生まれない。だってたかがインターネットで、そこに依存しているのは僕という個体であって、ほかの人の事なんて知らない。twitterが、googleReaderが、めーるが、skypeが、こんなに狂おしく愛おしいと思う日が来るなんて思わなかった。
でも死んだ。11/29にフレッツ光は死んだ。
次の契約はしてある。auひかりはもうひいてある。
でも、何となくこういうのは儀式的なもので、12/1から使うべきものだろう。だって料金だって、従量制だって僕はメーターを振り切るほどにパケットを使い切るのだ。F5連打、動画を見る。なんでもいい。でも僕はパケットを使い切るのだ。だから、出来れば何も考えずインターネットの海を泳ぎたい。でもそれさえも窮屈で、細い回線で、狭い水槽のようだ、息が苦しくて、うまく呼吸ができない。鳥のように呼べなくてもいい、広い海を自由に泳ぐ体で良い、そのうちに捕食されたって良い、空は見あげるだけでいい。でもそれさえも取り上げられてしまう。
自由という言葉があるのだとしたら、不自由という言葉は反対五男ではなくて、理不尽という言葉が反対語なのではないかと思っている。

12/1に同居人は出ていくからもう同居人でもなんでもなくなる。
メモとして書いておくが、ここ最近彼女は家で寝起きをせず、恋人の家で寝起きをしている。もちろんうちの鍵を持っているので自由に出入りをしている。小さいことかもしれないけれど、そんなに好きならまずそっちに荷物を移動するか実家に荷物を移動すべきではないか?もうここまで来たらいってしまうほかない。そのうえ、『合鍵を3か月かしておいてくれない?』なんでと聞く僕をゴミを見るような目で見て、『忘れ物があるといけないから』。
この家はタダじゃない。僕が家賃を払ってい借りているものだ。今すぐ返してほしい。でも僕はもう29だ。大人なのだ。『ひと月ならいいよ』そう僕は言った。ひと月で新しい恋人ができるとは思わない。だけど、もしかしたらこのひと月はものすごく大切なひと月になるかもしれないのだ。そんなこと誰にわかるっていうんだろう。誰にだってわからないじゃないか。そう思うと無性に同居人の子供さに辛くなった。僕はどうしてこんな人と一緒にいたんだろうと思った。向こうにしてみたって同じようなものだろう。そんなことずっとわかっている事だった。でも、なんで彼女が僕を赦さないのか。ずっと疑問だったが、答えは単純だった。彼女の方が僕よりもずっと幼く子供だったのだ。23の子供に対して僕は何をそんなに声を荒げる必要があるのだろう。
僕の事をお払い箱のような目で見始めたのは一体いつのことだったのかわからないけれど、きっとそんなに昔じゃない。
仕事の愚痴を言い始めてからきっとそのすぐ後には今のようになっていたのだろう。

次に付き合う人が居るのなら、…いや、もうこれで最後にしようと思ったんだ。
次の人なんていないんだ。一人で、霞む視界の中で、歪んでいくセカイを歩いていくんだ。
僕に次のチャンスなんてない。

さようなら世界。
君たちの事はいつになっても好きだ。でも僕は窮屈な今を忘れることは一生できないだろう。

#128 単車を買い、そしてその日に不動になり、新宿を練り歩いた。日曜日。

僕は基本的に運が無い。運が無いと言ってしまうのは簡単なので、もう少しきちんと説明するように言うと、これだ!と自信を持ったモノについて外れている。つまり限りなく正解に近いところにいるのに、そっちについては自信が持てないことによって間違っている方を消極的理由で選択してしまうことによってババを引く。またこれも本人の良くないところなのだけれども、ババを引くことが間違っているとどうしても思えないので、ババを引く行為について自分で引け目に思うことが無いところがたちが悪い。ババを引いたら運が悪いという便利な言葉でその場をしのいでいるように思う。単純に運が悪いというよりは引きも弱ければ決定力に圧倒的に欠けるという事だろうか。裏でそれを実証するかのように自分がかかわり自分が先頭を切らずに地道に努力していることになっているプロジェクトは割とどれもそこそこ当たっているし、高評価を得ているように思う。つまるところ自分がリーダーシップを発揮するような場面において全く持って誤った選択をしがちであるのだろう。勿論すべてがそうであるという事ではなく、不可抗力的に運が悪いことも中には混ざっているのであろうけれども、それがどの程度の頻度で混ざっているものなのかは事実上わからない。自分はそうやって生きているのだし、やり過ごしている。そうしていることが普通であって、それに対して何の意識も持っていない。ただ、そこには運がいいか悪いかという二つがあって、僕は単純に運が悪いという事で物事を自己消化しているに過ぎない。いいとか悪いではなく、そういうことなのだ。

免許が取れた僕は紆余曲折あって、淵野辺のバイク屋を訪れ、単車を買った。ヤマハのSRVという単車で、クラシックに少し寄った2気筒V型エンジン250ccのバイクである。このバイクについての乗車インプレッションだったりコメントについてはそのうち書かせてほしいと思う。ただ、このバイクにしたのは結局値段だったのだけれども、火を入れてもらった時になんとなくよばれたような気がしたからだった。もちろん気のせいなのだけれど。家に帰ってみると随分愛着を持って乗っていらっしゃる方が多い。本当はスズキのバンディットを見に行ったのだけれども、全くお勧めされなかったため、このSRVにしてしまった。ほぼ即日に決めてしまったのもいけなかったんだと思うが、結果、納車日(11/12)に走り始め10キロ地点で不動になり、その場でバイク屋を待ちプラグを交換した。その後10キロ走ったあたりで家につき、調子が良いと思われた。仕事を軽くして人のいない夜にと思って乗るとアイドリングも安定していたし、吹かせば吹いた。確かにあんまりパワーが無いなという印象ではあったが、こんなものだろうと割り切って246を走っていた。しかし環7の手前あたりでどうもエンジンがおかしい。昼間に起こったのと同じような感じがする。雲行きが怪しい。渋谷まで行く予定だったけれど、三茶で世田谷通りに進路変更して家を目指す。しかし、全く吹けない。プラグが完全にかぶっている感じがする。そして農大前近辺で不動に。バイク屋に連絡しても出ないため、バイク乗ってる友人に電話をしてみる。友人ちがたまたま近くにあったため、バイクを押す。2キロの距離を押す。上り坂でも押す。重い。
結局友人曰く、マフラー(蓋無しスーパートラップ)のせいで年長大分怪しいんじゃない?という結論に。バッテリ上がっちゃってるし、セルでエンジン回らないしキックもないしでどうしようもないので一晩おかせてもらって電車で家に帰った。今朝バイク屋に電話をし、そのまま僕をピックアップしてバイクを取りに行くことになり、トラックの中でいろいろ話す。多分純正のマフラーか同じ型のエンジンの別の単車のマフラーが付くんじゃないかと思う。さすがにスーパートラップのまま燃調きちんといじって、は無理じゃないかと思っている。怖すぎて乗れない。(結果35キロぐらいしか乗ってない)
勿論僕の乗り方がへたくそな聖なのは一因としてあるのだろうけれども、気が引けて友人を連れて行かなかったのは間違いだったか。と。あとで『言ってくれればついていくのに』と言ってくれた。やっぱり友達というのは持つべきものだし、頼るものなのだなと思った。ただ、いつSRVが戻ってくるのかはわからない。見に行くか電話するか明日してみようと思う。あ、明日駄目だ。用事あるや。

そんな感じで始まった日曜日は睡眠時間4時間であったが、どうも興奮していてもう一度寝る気も起きない。悶々とする気持ちを抑えられない。僕はアニメを少しだけ消費すると新宿に向かって、ふらふらと昔のアルバイト先の近くまで歩いた。ぐるぐると歩いているだけで8キロほどの距離だったらしい(ケータイ調べ)。もうやんカレーを思い出し、昼のもうやんを久しぶりに堪能した。その後新宿西口中央公園を抜けて久しぶりに都庁にのぼった。デートコースにしていて、あまりにも慣れたコースだったが、最近歩いていなくて道がわからないことに気が付いた。あんなに歩いても、やっぱり忘れてしまうものなのだな、としみじみ。45階のラウンジはそれほど混んでいなくてコーヒーを飲みながら、追い出される時間までぼーっとしていた。やっぱり絶景で、タダで昇らせてくれるのだから500円のコーヒー代はむしろ安いとおもう。席はゆったりと作られているし、誰もせかさない。出て行けと言わない。暮れていく新宿の空を見ながら飛行船が飛んでいた。完全に夜だった。
帰りの電車の中で両腕の痛みと、簡単な仕事のことを考え、でももう今日は寝てしまおうと思った。深く考えてもいいことなど何もないのだ。どうなるかわからない明日の事や明後日や将来を考えていても仕方ないのだ。

好きだった人が言った『で、キミはどこにいるのかな』意味が分からなくてそのままだよ、と言ったら『作っているんだと思っていたよ。キミ、からっぽで何もないんだね。アハハってかんじだよ、あはは』ぼくも、あはは、と言った。『僕には、自分には人が欲しがるような輝く何かとか、凄いって騒がれている環境とか身近には無いって信じているんだよ。僕のつかめるものはゴミばかりで、宝物は絶対につかめないって信じてる。それは掴んでしまったものに対してはものすごく失礼なことかもしれないけれど、その何かだって、きっと誰かが欲しいと強く願えばその人の宝物になって、僕の手から雲散霧消するんだ。自分ではうまく宝物に昇華させてあげられないんだ。物心ついたころから僕が欲しいものや宝物は、絶対に手に入らないって、決まっているって思っているんだよ』と、僕は言った。『後ろ向き過ぎる』とコメントを頂いた。後ろ向きなんだと思うよ。そう思う。

#127 明日は文学フリマ。免許取得。金色に輝く。ペーパードライバー

濡れた頭をバスタオルでわっさわっさと拭いていると去年の事を何故か思い出した。
初めての文学フリマ、はじめての同人誌即売会(売り子)、はじめての同人誌(作り手)、初めてだらけで何をしたのかはわからなかったが、100冊刷って、僕の手元には2冊。残りは全部はけた。はじめてにしては完全に偉業なんじゃないかと今思った。自分で書いたものを読み直して恥ずかしくなり、でも懐かしくなってたまに開いたりする。よく考えると去年の今頃も同じように僕はかなりひどい仕事の仕方をしていて、会社を辞めて、家賃をどうしたものかと思って節操なく知り合いには時から電話をかけ、何かしらの仕事はないかと聞いて回っていた。今も何も変わらない。でも今の話はやめよう。その日から大体1年が経ったのかまだ経っていないのか忘れたけれども、2回前の文学フリマの話だ。目の前がエントランスで風が吹き込む最低な場所にブースがあり、とにかく寒かった。当日は共著者で主催の糸柳さんが、同人誌を買わないと人が死んでいくといったツイートを流しまくり、僕は前を通り過ぎる女の子を見て、『黒髪で眼鏡の女の子がこんなにもたくさんいるのに、こんなにも好みの女の子がたくさんいるのに、誰も僕の事なんか見ていないのだな』と全く意味もなく落ち込んだりしながら、とにかく寒いブースで、すぐ先の事を(家賃とか)考えながら、来てくれたお客さんに同人誌を手渡しておつりを計算していた。指名買いが多買った。僕宛ての指名買いは知人一人か二人だった。のちに読んだ人から『とてもエロかった』という評価をもらえたので書いてよかったと思った。一緒に書いた二人が僕のインクを刷った何かを読んだ時に何を思ったのかは全く分からない。もしくは読んでいないのかもしれない。どちらでもいい。糸柳さんは優しく、蒲田MiOの近くにはコンビニが無かったので走って肉まんを買ってきてくれたりした。彼は本当に顔が広いし優しいし、キチガイだから周りにいる人たちもみんないい人だと思った。僕はどこまで行っても傍観者なのだろうと思っていたが、それは自分に一歩踏み込む勇気がないだけなんだと思った。延々と続いていくのではないかと思う思考の果てにお客さんがいて、徐々に減っていく本の山を眺めていると、全てがクズで物事がゴミで出来ているのではないかという疑念が生じたが、そんなことはなかった。打ち上げなのか何なのかわからない状態で、会場の片づけをした後で糸柳さんの知り合いというか親しい友人というか、たぶん友達たちと餃子を食べた。僕は愛想笑いをするだけに見えたかもしれなかったがとても楽しかった。円卓で餃子だけをひたすらに食べた。飽きるほどに餃子を食べると、外には行列が出来ており、たぶん有名店だったのだろう、そんなことは考えることもなく店に入った僕は餃子を後いくつとってよいのかわからずうろたえるだけだった。それでも僕にも餃子は回ってきて文学と餃子の相関性なんてどこにも見出せなかった。餃子は美味しかった。ブースは寒かった。イベントは一瞬で終わった。夜はすぐにやってきた。売れ残った分を箱詰めして宅急便でどこかに送った後、立てていたポールを持って糸柳さんは歩いていた。僕は何も手伝えなかったのではないだろうか、そしてこれからも。別にそれでいいと思うのだけれども。
自分の中には何人かの自分がいるのではないかと思う。それは精神的な病気とかという直接的なことというよりはもっと現実的に、まっとうな自分がまっとうではない自分を見下しているような気持にいつもなっている。まっとうさというものがどういうものかわからなくなった時、自分を見下している自分が分裂し、それこそひそひそ話で相談するかのように自分が無限に増殖していくのだ。自分をあまりにも主観的にとらえる事が出来なくて、主観的に感情的になりすぎることが怖すぎて、表情筋が退化して、うまく笑えないのではないだろうかと思ったけれど、どうなのかわからない。ただ、もう少し自分はエゴイスティックになった方がよいと思うのだし、きっとそうなったところで誰かに迷惑をかけることもないだろう。きっと今の方が周りにかける迷惑の量は多いし、それだけ評価が遅延しているということは、波としては大きく、つまり僕は迷惑な人間なのではないかと思う。けれど、いろんなことが変わってしまった。本当にいろいろなことが何もかもが変わってしまった。いや、その時も変わっていたのだろう。そう思う。変わり続けていることに気が付かなかっただけなのだ。もしくはただの断片を見せられていただけなのかもしれない。断続的に続いている事象に自分がうまくアプローチできていないだけだということなのかもしれない。時間という概念を、うまく理解できない、精神的に未発達な部分が自分を唯々苛立たせているだけなのかもしれない。

閑話休題

僕は川崎市民なので、免許的な話になると当然神奈川県の免許センターにお世話になるわけなのだけれども免許センターというのはどうしてなのか辺鄙なところにある。和歌山の時も確か騎士側の近くまで言ったような気がするし、東京は鮫洲か武蔵野だったような気がする。どこにしても、行くのが困難な場所にあり、カツ駅からは離れている。車やバイクが無ければなかなか生きづらいところであるように思う。だからなのか今日が祝日前だからなのかわからないが、とても人が多く、人間に酔った。
昨日普通二輪の検定に合格した僕は、一刻も早くバイクに乗るために翌日の今日免許センターで免許の書き換えをしてもらおうと軽い気持ちでそこに臨んだのだけれども、全く間違っていて、そこは事務的で、無意味で、乾燥していて、でも人間という動物が放つ影が、11月の空を切り取った窓がくっきりと影にして僕にそこは現実なのだよと話しかけてきた。意味が分からないと思うけれども、とても現実には思えなかった。
最初の受付が終わると、次に呼ぶのは1時間45分後なのだという。僕は何かの間違いだろうとききなおしてみたが、係りの人が『すいません』とだけ言ったのでそれが本当なのだと思った。何もかもが死んでいて何もかもが生きていて、誰もかれもが暇そうで、一部の人間がバカみたいに動き回っていた。僕は一体なぜこんなところにいるのだろう。と不思議に何度も思い、もってきていた本を読み切り、何もすることが無くなった時に恋人がいなくなったことを感じた。メールをする相手はいる。でもそれはいつ返信があるのかわからない相手だし、自分もそんなマメな人間ではないのだから、文句を言える筋合いなんてどこにもいないし、そもそも友人や恋人は僕の暇つぶしの道具ではないのだ。どちらかと言えばぼくの方が低い位置にいる人間なのだし、かまってもらえている内がはなだと思っていなければ到底生きていくことが難しいということはわかっている。つもりではいる。いつまでもそんなことだから!
とにかく軽く考えすぎていた自分は、切れるカードが無く、仕方なく寝るしかなかった。でもこんな人間の多い場所で寝れるわけが無かった。11月なのに妙に陽気な外はもっと自分にとって居心地が悪い場所だったから、何本も細い柱がつきだしているただ広いだけのホールの中の冷たくクッションもない椅子の上で足を何度も組みなおしながら時間が過ぎるのを待った。一つ一つの自分が行えることが手短に終わりすぎた。あまりにも暇だった。そして僕はパソコンを持っていなかった。すぐに終わってバイクを見に行くつもりだった。でもそんな時間はどこにもなかった。時間だけが浮いていた。ぶよぶよに膨らんだ何もない時間だけがそこにあった。
結局免許を手にしたのは4時前だった。
なぜかゴールドになっていて、免許の期限が延長されていた。
とにもかくにもこれで僕は400ccまでのバイクにまたがることができる。その気になれば今すぐにでもバイクを借りて公道で走らせる事も出来る。だけど単車はまだない。
何を買おうかずっと迷っていたが、昨日見たNinja250Rが強烈過ぎて、最近のバイクに惹かれている自分が居た。自分の中のバイクへの予算が沸騰して急にはじけるように高いものでもいいかという気持ちになっている。でもはじめてのバイクは絶対にこけると思うし、なれない運転で疲弊させてしまうと思う。きっとバイクにとって楽な相手ではないだろう。だからというわけではないけれど、出来るだけ自分が納得のできる高年式の程度の良いバイクをチョイスしようと思った。
今のところVTR250が最も候補としては高い。実車を見たわけではない。だから実車を見て、実際にまたがらせてもらって、エンジンの音を聞いて、納得できそうであればその場で契約してしまおうと思う。予算内であれば。
まだあと数年は結局生きると思う。Ninja250Rが生産終了になるというニュースが流れるのであればその時に新車で買える自分になっていればいいじゃないかと思っている。その時にはもう熱はないかもしれない。その時にならなければわからない。僕はその時にしかいないのだ。

#126 達成できない目標と達成できてる目標とまだ見えていない事

先日、都内某所にてアニメ漫画出版的な業界人が集まってパーティーをやっていたので、完全に場違いな僕も知人の紹介ということで連れて行ってもらった。200人規模ということで、会場のキャパシティは300人らしく、身動きが取れなくなるほどではなかったけれども立食形式でも割と移動するのに少し苦労する程度だった。あっちを見れば絵描きの〇〇さんが、こっちを見れば最近発ばあのレーベルの編集さんが、そっちを見れば編集長。みたいな感じで本当に僕は場違いだったのだけれども名刺の交換だけでもさせてもらって連れて行ってくれた人が紹介してくれた。ちょうど、虹色学園生活がリリースされた日だったので、『この人はBLゲームを作っているヤマザキ君でー』という感じで名刺を頂戴して帰ってきた。3時間ほどの会だったのだけれどもあっという間に終わって、結果、非常に充実した感じだった。友達ができたというような感じではないのだけれども、誰かは僕の顔を覚えていてくれるかもしれないし、僕も誰かの顔を覚えているかもしれないなーという感じで、終始ウーロン茶を飲みながら挨拶をしていた。帰ってきて、翌々日ぐらいに結局より分けるのは面倒だと思い、もらった人全員にメールを書いた。ぼちぼち返信が来るのでみんなマメなんだなーと思うことひとしきり。
講談社BOXのとある編集さんとは、挨拶だけでなく少しお話させていただいたので、来週の文学フリマいかがですか?というメールを出したのだけれども、それは帰ってこない。残念だけれども来られないのだろうなぁ。とおもったり。残酷兎というサークルからまたしても一緒に出させていただきます。今回はいつも大体1万字程度だったんですが2万字ほどを寄稿させてもらいました。暇だったのかと言われればそうかもしれませんし、其れとは関係なくなんとなく書きたいことをだらだら書いていたら2万字になったというのも正しい解釈で、本当は推敲してどうこうということをして3万字程度までヴォリュームを増そうと思ったんですが、うまく時間をとることができる、かなり未完成なままの発表となってしまうようです。テーマが反省文なのですが、別に反省する事が無いし、と思うと、高校時代とかのちょっと悪かったことについて反省した方がいいなと思ってフィクションを書きました。もう名前も思い出せないような人との些事について事細かに反省をしても仕方がないと思ったのですけれど。『青春』という名前の恥ずかしいものに蓋をするのではなくて滲みだしてくるものについて拭き取っておこうかな、と思ったのです。

最近よく一緒に遊んでくれる女性が居てくれまして、昨日も僕の仕事の愚痴などを割と早い時間から聞いてくれたりしたのですが、大学が沖縄だというので、東京の寒さについてかなり脅しをかけることによって自分の精神的圧迫を取り除こうとしております。故に会うたび『東京の冬は寒いんですよ。氷点下ですよ。着ぐるみじゃ防げないのです』と嫌がらせを呪詛のように投げかけており、最近ではそれを実感してきたらしくどうしようかな、と言っておりました。
10月が殆どニートのような生活をしていたのはバイクの免許を取るためで、今はいわゆる普通2輪というやつをとりに行っておりました。明日第2段階のみきわめなので、何とかなるものなのだなぁ、とというのは4輪の時と同じようなきっと感覚なんでしょうね。正直10年ぶりの教習所は、全く違う場所なのに、何か郷愁を感じました。多分どこの教習所に行っても同じように思うのでしょうね。そんな風に思っていますが、もしかすると、再審でぴかぴかな教習所に行けば全く違うと感じるのかもしれません。
知人というか友人が婚約をしたというのでおめでたいなーと思う反面少し心配になる部分もあったりして、まぁ、それはまた別の機会に話そうかな、と思います。
関係ないですけれども、この日記のようなもの、そういうことを書いて振り返ったこと殆どないですね。
まぁ、仕方あるまいよ。
あと、検索避けをしているわけではないのですけれども、出来るだけ個人名などを出さないようにしていますと、必然的にgoogle先生などから検索にヒットしなくなり、結果誰も来ない荒れ果てた砂漠のようになってしまいます。でも別に僕が毎日来ているのでUUが0になる事はなく、またブラウザのUserAgentの判定でも、二つのブラウザから開いているのでものすごく偏りのある購読者層になっております。つまり僕以外は読んでいないということなのですけれども。いや、僕も開きっぱなしなので読んでさえいないのですけれど。誰も得をしない。誰にも影響しない。

会社のほうは、少しずつですけれども会社っぽくなりつつあり、でもその息継ぎをするタイミングでお金が必要になって、今非常にお金が無くて大変です。
エンジェルなんていませんし、自分の会社にエンジェルが来るとしても、もっとわかりやすいサービスを提案しないといけないですし、とても難しいです。
本当は受託も常駐もやりたくないけれど、仕事をとろうと躍起になっているのは単純に会社を回すためだったりして。不毛だということぐらい自分でもわかっているつもりなのですけれども。
その辺の話を主にしたいと思っていたのに、全然できませんでした。そのうちまた近いうちに。

文学フリマは11/3 11:00-16:00 イー52 残酷兎 に僕はお昼ぐらいからいると思います。

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