Platoronical White Paper
#091 開発の現場より 【エンドユーザーと開発者の意識のかい離】
受託システム開発をすると言う事は必ずお客様が居る。
凄く簡単な話で当たり前の事なのだけれども、受託システム開発を主業務としている会社は、顧客の欲しているシステムが作られる背景やどのように運用されているか、と言う事についてはそこまで注力して考えていない。考えていないというと語弊を生むと思うのでそれは理由の2番目に当たると書けばいいのだろうか。
問題なのは1番じゃない、と言う事である。1番大切なのはシステム開発という業務を請け負う事によって収益を上げ、支払いを滞りなくしてもらう事だと思う。どれだけきれい事を言う会社であっても、受託システム開発会社である限りコレは覆らない。『いや、うちは顧客中心主義でやっていますから』と言う会社は胡散臭い。
納期があってリソースがあって、予算があって制限事項が多分にある。
その中でモノを作っていくという事は『顧客が一番になる事は殆どあり得ない』。もしあり得るとすれば所謂『営業案件』か、立ち上げ、運用までも請け負っている案件のどちらかであると思う。
夢から覚めて欲しい。
顧客の事を考える事は素敵だと思うし、顧客が笑顔になると嬉しいという気持ちがある事は分かる。しかし、実際はそのシステムは自分たちのモノではなくて顧客が自分たちでは作れない、もしくは作れるのだけれども外に出した方が安いとか、色々な事情があって受託システム開発会社かSIerと呼ばれる人たちに投げているのだ。
で、その請け負ったもの(この場合、契約形態はあまり気にしない、請負も準委任もその他も全部『仕事を任された』と言う事で一括りに『請け負った』と表現させて欲しい)を開発して、その代金を頂戴するのですね。(口調が変)
繰り返しになりますが、大事な事なので何度も書きました。
さて、表題に戻ります。
エンドユーザーって、誰を指すのでしょう。上記だけであればまるで発注した人がエンドユーザーみたいですね。でも、それは間違っています。間違っていないときもあります。
けれど、殆どの場合、発注した人がそのシステムのオペレーションをする事はあまりないと思います。
例えば僕が担当させて頂いた案件にコールセンターのシステムリプレイスや、紙ベースの帳票管理を電子化したりなどと言う事がありましたが、どちらも発注したプロマネやSEが運用するわけではなく『現場』のテレオペの方や受発注係の方達が使うのです。と、言う事は、実際のエンドユーザーはその現場の方達ではないかとボクは仮定します。彼らが求めているシステムを本来であれば作って納品する事が出来ればエンドユーザー中心主義的な考え方です、といえるかもしれません。
しかし、プロジェクトのステークホルダーは基本的にそのエンドユーザーがエンドユーザーでない事を知っています。
どういう事かというと、開発会社のお客様はお金を払ってくれる発注者です。末端のエンドユーザーの声を開発者が的確に捉える事はとても難しいのです。
伝言ゲームのようなものです。
開発会社がどのようなしようがよいかと聞く機会があったとすれば、発注者がオペレーターの方の声を持ち帰ってきてメールを開発会社に投げてくれます。コレは1次受けのモデルですね。それでも一つ挟まっています。でもコレは理想型であって実際はもっといっぱい挟まっています。開発会社もSIerが挟まっていれば一つ壁が大きくなります。時間のロスは生の声を風化させるだけの力があります。生の声というのは生の声なのでロスすると取り返せません。
ちょっと宗教的な、と言うか思想的に偏ってしまうかもしれませんが、ボクは言葉には力があると思っています。
力のあるというのは不思議なもので、空気感や匂いや重みやその他様々な感情を含んでいるような気がします。含んでいると言うよりも含まれてしまっているのだと考えます。書面にする事で、その時の顧客の伝えたい空気が伝わらない事もあるでしょう。議事録を読むだけでは一体どこが緊急なのか見えない事が良くあります。
電話一本で『ああ、なるほどそう言う事ですか』と言うような経験がみなさんにあると思います。公私問わず。
その、電話一本が掛けられないですれ違ったままプロジェクトを進めざるを得ない事は結構なダメージではないかと考えています。
例えばあなたが鏡も証明もない暗闇の中で服を着ています。その服にはボタンが何百個と縦に並んで付いています。そのボタンはとても小さく、しかし目立つ形をしています。しかしその服を着ないとあなたが表に立つ事が出来ません。勿論誰かと会う約束があれば時間内に着なければいけません。あなたは頑張って着ようと努力します。でもそれほど複雑な形をした服を着ると、どうしてもボタンが一つや二つ掛け違えてしまう事もあるでしょう。しかし縦に並んでいるので、掛け違えると大変です、もうそこから先は全く不格好鳴き立てになってしまいます。でも、残念ですが、鏡もなければ部屋も暗いので、その掛け違いに気がつく事は出来ません。そのままリリースするのです。
外に出たら笑われますが、持ち前のスルースキルで後は言及を逃れる以外に道がありません。
結果としてどうでもいいエントリになってしまいました。
でも、エンドユーザーと開発者は殆どの場合、理解し合える事は少ないです。その上で顧客への接し方などを模索するべきではないか、とボクは書きたかったのです。
誰も万能ではないので、その『かい離』について指摘して声を大きくする事は出来ないと考えます。
でも、まぁ、だからってエンドユーザーをないがしろにして良い、って言っているわけじゃないですよ?
きっとそのうちまた書くと思います。
なんだかとっても無味乾燥なエントリになってしまった。
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#090 開発の現場から 【開発者と開発ツール制作者の意識のかい離】
いくつかのステップをふんで、表題の【開発者と開発ツール制作者の意識のかい離】を書こうと持っていたが、何度も草稿を心の中で繰り返し作成しているときに、不足事項は補足やコメントのリプライで繋げばいいと思った。だから今回は純粋に何がどんな風に僕自身が『どういう人が現場での開発者なのか』また、『どのような人が開発ツールの制作者なのか』と言う事から話していこうと思う。
そこから、絶対的にかい離する原因になっている溝を少しでも感じて貰えればと思う。
・開発者とは
此所で言う開発者は、現場におけるプログラマとシステムエンジニア、とにプロジェクトマネージャー(もしくはプロジェクトリーダー)を差す事にする。プリセールス、デザイナ、営業は外す。デザイナは限りなく開発者に近いが、後述するエントリに影響するので特例とさせて頂きたい。
それからこれから先のエントリでは毎回この開発者の定義を変えたいと思う。
コレは日本語的に開発者と言う事場のクラスが実装すべきメソッドがエントリによって変わる事に変わる。少々ややこしい言い回しになってしまうが、赦して欲しい。
開発者とは、プロジェクトを実務レベルで進めるプログラマ、システムエンジニア、リーダーのひとかたまりをさす事とする。
・開発ツール制作者とは
大枠でとらえると言語策定者、言語仕様創造者(アーキテクト)、またはVisual StudioやeclipseやNet Beans等に代表されるIDEのコミッタ。または各言語のフレームワーク開発者などもここに含める事にする。
日本で有名なのだとPHPのSmartyや、JavaのSeaser2や純粋言語としてはRuby等になるのだろうか。彼らを開発ツール作成者と呼ぶ事にする。
『開発者』を定義した後だと随分具体的な代表例となったような気がする。
さて、まず絶対的に違うのは分母の数である。
可用性のある言語を策定することや、新しい言語を開発するツールの作成者は、それとツールとして使って新しいシステムを作る人間に比べて数が少ない。開発ツールの制作者は開発も同時にしている事もあるので、どう考えてもその数は少ないと考えるのが当然だと思われる。
分母が違うと、そこには遊びの余裕がどんどん無くなっていく。勿論多い方が、同じだけの容積があるとすれば詰まってくるのが正しい。少ないほどに余裕があって自由であり、狭い世界を歩く事になる。
結果から言えば、開発ツールの制作者は孤独であり、孤高であり、開発者からの羨望と嫉妬を一新に受ける事になる。
具体的には、『この仕様、凄い』『便利だ』と言われる反面『ダメだ、バグが多すぎてつかえね』『この仕様じゃ実装できる機能が少なくない?』『難しすぎて訳わかんねー』とかといった二面性を常に一心に受ける事になる。
会社に属し、仕事として言語策定をしている人間であれば、ある程度は会社やチームが吸収してくれる事もあるだろうが、多くの開発ツールの制作者は孤独であり、独りで、まるでボランティアのようにしてやっているという現実がある。
コレはどのプラットフォームでも同じ事が居るだろう。
横道に逸れてしまうが、ペイントソフトやリモートソフト等、高等技術を駆使するフリーソフトを世に出している素晴らしい技術者も開発ツールの作成者と纏めてしまっても良いだろうと思う。ただ、園田レモが、割と例外なく孤独であるように思う。
制作のスタイルにも問題があるとは思う。
それは彼らが自分自身に対して大変に厳しく、そして我が儘であると言う事が言えると思う。
妥協が許せず、自分が一番である事を信じて疑わない。
人と協業してバグを一つ増やすよりも、仕様を小さくしても完璧なモノを目指す。そのような姿勢が見えるような気がする。
しかし、開発者はそのようではないと思う。勿論そのような潔癖な一面がある人が居る事は知っているが、決められた枠(言語仕様やハードウェア、もしくはネットワークの制限など、そして工数)の中で顧客が望む設計図を制作し、ものつくりをする。
そこにはエゴイスティックな側面よりも社会人として会社のために仕事をするという責務が第一に置かれているように感じる。
開発者が望む最終成果物は顧客のモノであり、自己満足するモノではない。常に先端技術を追い求めるよりも、安定版を使い、時にはデグレをしても正確なモノを世に出そうとする。
しかし開発ツールの制作者は先端技術をいち早く関知し、それをツールとして使える形にしようと苦心をする。何十年も変わらないスタンダードとして君臨したSQLをなんとかしようとBigtableをスタンダードにしようとしたり、10年前には全く現実味の無かった仮想化を仕事で使えるレベルに引き上げたりする。(仮想化自体はもう何十年も前からしそうとしてはあったはず)VMは今では当たり前だし、それ無しに業務システムの構築は出来ない。JavaやFlexはVMの良い例ではないかと思う。それ以上のモノはないのだし。
しかし、事実としてJavaが出た当時に、あまりの動作の重さに誰もそれを業務で使おうとはしなかった。VBやC++で書かれたクラサバが主流だったし、実際にそれで不都合だった事もない。
つまり、開発者はそんな不安定な最新の技術よりも少し不便でもバッドノウハウのあるレガシー名技術の砲が顧客に最適なソリューションだと考える事が出来たからだ。
開発ツールの制作者達はそれでは面白くない。
世界は自分か築いた周辺だけで終わってしまい、それを使用されない社会では自分のエゴが通用しない事を突き返される事になる。
だから心の折れない開発ツールの制作者達は、開発者よりももっと遠くを見て如何にして『自分が開発者であったときにこのツールを選ぶのか』と言う事を命題に開発を行っているように感じる。
使命感とでも言えるかもしれない。
さて、つまり開発ツールを思案している種類の人間は開発者であると同時に、自分自身を表現するパフォーマンスを行っていると考えられる。
どの辺り迄が世界であって、その世界を作るための社会をどの辺に置くのか、社会を感じている開発ツール制作者ほど具体的に夢を見ているように思う。
限界がどこであるのか、自分の中にしか持っていない。
開発者は、ツールの限界が仕様の限界が、顧客への提案の限界だと考えているように思う。だから、開発ツールの制作者に『もっと良くして欲しい』と言うのだろうと思う。
どちらが良いわけではない。
ただ、開発ツールの制作者の邦画より、現代のアーティストとして表されるべきではないだろうかと考える。
また、別項として【開発ツール制作者が本当に見たい夢】をどこかで書きたいと思う。
つまり、彼らが見ている夢は、彼らでは出来ず、開発者の誰か達に具現化して欲しいと思っているのではないかと考える。
『そう、おれはこのツールでこんな事がしたかったんだ』と言って貰える何かを作り出して欲しくて、作り続けるのではないだろうか。
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#089 開発の現場から 【序】
BtoBの開発の現場に居る間に、忘れないうちに言っておかなければならないことがあると思った。
最初に断っておくとボクはUIについての仕事について従事しているので、画面側からのアプローチになるので、すべての意図は汲み取れないと思う。
それから、特に専門的な知識を身につけたわけではないので、専門用語や小難しい考え方や思想について書くことは出来ない。そのことによって見る人から見ればとても幼稚で平たんで奥行きのない文章になってしまうと思う。
もしかしたら心証を悪くする人もいるかもしれない。
そういう人たちにはとても申し訳なく思っている。
あくまで現場に居て思ったことをメモとして残しておこうと思ったことがこの文章の最初から最後までの一貫した哲学だと言う事を覚えていてほしい。
また、使う言葉は僕の感覚的なものがほぼ全てなので、うまく伝えられないかもしれない。前提条件はいっぱいあるけれども、書いておかなければならないと思った。一生懸命書いてみる。
序章に変えて。
開発の現場には空気感の演出がロマンチックな人間が圧倒的に居ない。
自分自身が、もしくはほんの目の前のお客様と、またはソースについてロマンチックな人間はとてもたくさんいる。
UCDという言葉がもてはやされているのは少し前の事だと思うけれども、空気感の演出が出来る人間はそもそもUCDなどを考えもしないだろうし、もしくは無意識で行える人間なのではないかと考えている。
空気感の演出とは、空間の演出とそこに介在する何かの化学反応を指す。
空間の演出と言うと、いっけんソフトウェア業界や、ビジネスの世界とは切り離された空間デザインの領域なのではないかという質問が出てきそうなので一言断わっておく。ビジネスの世界というものは、そもそも人と人とのつながりがあって初めて成り立つものであって、一人軍隊では意味を見つけることが難しい。一人オフィスで、顧客はスカイプの向こうに居る、という事があったとしても、顧客はスカイプの向こうであなたと同じように椅子に座って平たんなテキストのやり取りを同じように行っている。
平面を通して、空間がつなげている。
あるいは電話などはオフィスでしている電話と、駅のホームでする電話と、自宅で受ける電話では清涼も違えば、話し方も違うはずである。昔からTPOという言葉が使われていて、『常識的に考えて(JK)』当たり前のことを当たり前のように行っているだけだと思うだろう。
だけれどもそれは考えが少し足りない。
相手は同じところに居るかもしれないし、相手も同じように空間を移動しているかもしれない。同じような相手に電話をしているかもしれないが、相手は携帯電話のスピーカーを使わずにヘッドセットを使ってより良い通話環境を目指しているかもしれない。
あなたは同じように話すかもしれないけれども、多分無意識下で相手の空間を認知して電話について対応していると考える。それは相手側のノイズや、相手の声量等で判断するだろう。または、もしくは大きな声を出してほしくない場所に居る時は相手から注意を受けることもあるだろう。
それは、一つに相手も同じように空間があって、その場所とその人が火見づけられているからである。
目の前に居れば表情や仕草から様々な物事を想像することが出来、その想像によって自分が取るべき行動が決定されることを無意識で行う事が出来るだろう。
もちろんそれは大切なスキルであり、できない人もいる。
話はそれてしまったが、電話一つをとっても、多分思い当たる点はもっとたくさんあるだろうと思う。電話を主業務にしている方々であれば、僕の言っていることは間違いだらけかもしれないし、もしかすると、もっと違う目線を持つかもしれない。しかし、上記のことは僕自身が思っていることなので、きっとこういう目線もある。
大切なことは空気感であり、空間がそこにあると認知しているという事実である。
こう考えると、仕事場でゲームをしないことや仕事場にベッドを持ちこまないことは間違っていないのだと再認識できるだろう。(話が飛びすぎたかもしれない)
どんな状況に会ったとしても人は空間の中にしか存在しておらず、ヴァーチャルな世界と言っても限定的であり、飽くまでそれはその誰かのサブセットでしかなく、中の人しか顧客にはなりえないという事が事実としてあるという事になる。
またひとつ例をあげるけれど、Googleと言う検索エンジンについてのサービスを受注したとして。相手にするのは巨大なデータベースであり、膨大な情報を持っているが、お客様は検索エンジンやデータベースではなく、その膨大なデータを管理しているデータセンターのオペレーターやマネージャーを相手に仕事をする。
データベースのチューンアップ等を行う場合、もちろん相手にするのはデータセンターなのだが、データベースの要件の決定、仕様決定、承認や決済などを行うのはデータベースではない。担当者が行う。
データベースをお客様にしていないのに人間のフローが入ると言う事は、常識的に考えてその人に対して最低限のマナーなどを問われるだろう。
そんなことは当たり前かもしれないが、それは目の前に担当者がいるからだ。
それでは本当に少しだけ視野を広げると、毎日の業務の中でGoogleのテキストフォームに文字を打ち込む業務がどのぐらいあるか考えてほしい。
隣の人が自分と同じことをする動作を思い出してほしい。
その時に、そのデータベースはついにその担当者の手を離れる。データベースを介して、自分と隣の人の業務とが結びつく。全く社内的に関係がなく、プロジェクトも違ったとしても、自分が行うその業務は隣の人の業務について何らかのアクションを取らせるトリガーになる可能性がある。
話を戻して、電話やGoogleについて考えたとき、周りの空間について考える必要は全くないだろうか?
むしろ、考えない方が常識的に考えておかしいのではないだろうか?
受注した自分と決済担当者の二人だけで、プロジェクトは完結してしまっていいのだろうか?
ボクはここでの答えをノーと言いたい。
さて、そうやって少しずつ紐解いていきたいと思う。
以下の三つの項目について、いくつかのエントリに分けて書いていきたいと思う。
そして最初にボクからの一つの回答として、
『画面を作る人は、圧倒的に居ないし、そこについて人々はもっと考えるべきで、もしもそういう職業の人間が存在しているのだとしたらひと括りにデザイナと呼ばれている。だが、それは本当にそれはデザイナと呼べる代物なのだろうか?ボクはそこについてノーと呼びたい。今はまだその職業について名前がないのではない、というのが現状正しい解答なのではないかと思う』
としておきたい。
これから書いていきたいエントリ一覧。
【開発者と開発ツール開発者の意識のかい離】
【エンドユーザーと開発者の意識のかい離】
【開発者とデザイナの意識のかい離】
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#088 歯痛
- 2010-01-08 (金)
- ひとりごと
新年あけて、転職!転職!とか叫んでいたから罰が当たったのか、歯が痛いです。
虫歯や親知らずは放っておくとどんどん悪くなる上にどんどん治療費が高くなるのですよ?
賢明なみなさんは僕のようになる前に歯医者さんに行かないとダメです。(賢明な、とは久しぶりに使った単語)
さて、世の中はすっかり近未来モードですが、僕は特に変わったこともなく毎日を過ごしています。
ここ数年のヒットチャートも、ここ数年の洋服のトレンドも、ここ数年のモテアイテムも分からないことは、ここ数年僕自身があまり変わっていないことなんだなって思っていたんですが、歯痛になってようやく時間を僕は無益か有益か続けたその先に立っているのだなぁと思う所であります。(何のことですか)
同級生が漫画家なのはいつか書いた気がします。
田中靖規先生です。
知らないうちに新連載(鍵人)が始まって終わっていました。(多分僕はキングクリムゾンになぐ(ry)
何がどうと言う事はないのですが、
『ああ、同級生ってこんな素晴らしく頑張ってるのに僕ときたら、ふぅ』
で、歯痛な訳なんです。ああ、そう言えば新年の挨拶も、メリークリスマスもしたのに、画像の一枚も作らない僕がいる。
努力が足りない?もうちょっと謙虚に生きた方が良い?粛々としろ?身の丈を知れ?
はい。
『10年後の私へ
今がもし幸せなら
あの日の私のこと
思い出してくれますか
そこにはつらいことに
泣いた私がいるけど
その涙を優しく
思い出に変えてください』
(Lyric by dorico)
僕は泣いたりしませんけれども、10年前の自分が10年後の今の自分を見たらなんというのだろうか、
ありきたりだけど、割と真剣に考えてみた。
10年前の自分をまず思い出さなければいけない。
17歳の僕。高校二年生。未だ進路なんか見えて無くて、放送部の部室でたまに授業をサボったり舞台の電源のヒューズ飛ばしたりしたり、脚本書いて舞台やったり。誰もいなくなった文芸部をどうするか、悩んでいるフリをしてみたり。
そうか、二人目の恋人ができたり、・・・そんな時機か。思い出してきた。
ろくな高校二年生じゃない。
漠然とした不安と、漠然とした巨大なもやもやが僕を包んでいて、だけど、いくら寒くても自転車に乗って高校に行かなきゃ行けなかった。美術準備室でコーヒーを淹れて、古いマックとにらめっこするのも楽しかった。
でもろくな高校二年生じゃなかった。
進学する気もなくて、やりたいこともなくて、むしろ未来とかどうでも良くて、いつも美術室の窓から飛び降りたかった。
でも3階じゃどうにもならないなぁ、アハハ。とか思ってたのも事実だけれど。
ちゃうねん。
そうじゃなくて、僕は僕なりに多分その時色々考えていて、でもその色々について自分が耐えられなかったんだと思う。
未来とか重すぎて。
恋人とか、いくら話してもいくら手を繋いでもどれだけ抱き合っても、遠い存在で分からない。
そんな怖さから逃げて、だから先のことなんか全然分からなかったと思う。
だから、今の自分を見たらなんかちょっとホッとすると思う。
僕は僕のままだし、何も変わってないし、多分歯痛について怖がると思う。
今も10年先の自分が分からないし、多分10年先の自分も同じだと思う。
いや、そうやって早合点するのは良いけれどね、見たいに思うのもアレなんだけれど。まぁ、うん、そう。
そうそう変わるモノでない。
でも、まぁぼくが上げやすい人物として田中君がいるのだけれども、彼は当時からなんかそう言うと追い自分が見えていたように思う。高校から違う学校になってしまったので、接点はなくなってしまったけれど。
僕は彼の物語とか、世界観とか、絵とか、好きだし心の中では応援していた。
彼に恋人が出来たと風の噂で聞いたときにはとても嬉しかったし、彼が赤丸ジャンプに載ると聞いたときは、やっぱり嬉しかった。
でも、彼は彼であり、僕は僕であり。
僕は僕であるが故、彼にはなれないのだし、僕であるために彼のためにジャンプを毎週10万部も買えない。(アンケートを送る的な意味で)
そう言うのって悔しいけれど当たり前で、でも、そう言うのが当たり前だって少なくとも10年前には分からなかったな。
だから今、10年前の自分に会えたら
『未来ってそんな怖くないよ』
と教えてあげたい。
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#087 今年の抱負
- 2010-01-04 (月)
- ひとりごと
今年の抱負。
・ 転 職
あと、なんだ?
・ 小説2本ぐらい書き上げたい
・ サイトのリニューアルとか
・ プライベートなポートフォリオ
・ 料理上手くなる
・ 毎週2冊読む(多分フィクション)
・ ラジオと放送をコンスタンスにやる
とりあえず、こんなところ。
思い出したらやる。
焦らない。けど、負けたくない。
同級生が頑張ってる
負けない。
勝ちたいんじゃなくて、負けたくない!!
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#086 2009年の総括でもしようか
- 2009-12-30 (水)
- ひとりごと
去年が終わったとき、今年はすぐに終わるのだろうなぁと思っていたんだけれども、その通りになった。
今年何やったかなぁ?と思って思い返してみてもあんまり無いかな、と言うのが正直なところ。
でも、なんだかやらなかったことも多いけれど、出来なかったと言った方が良いのかな。
思い出すままに今年やったことを考える。
・ラノベの新人賞に応募した(2次選考落ち)
・12月の忘年会に積極参加
・テレビ出演(エキストラ)
・上司が会社を辞めて師事する人が居なくなる
・5ヶ月連続で所定労働時間が足りなくて社長から直に怒られる
・車を買おうとしてローンを組もうとしたらおじいさんに怒られた
・インストールマニアックス2に参加してIISを初めて触った
・インストールマニアックス3のVPSの参加券をもらったが、未だに公開まで至っていない(~10/1/12迄)
・面白法人に落ちる
・ラジオをはじめる(ねとらじ)
・ニコ生をはじめる
・自転車を買った(クロス)
・iphoneを買った
・ネットブックの買い換え(アスワン→mini5101)
・元カノと完全断絶
・弟が結婚、出産
・同級生の結婚式に出席(和歌山日帰りとか若いね、僕は未だ)
・会社が移転した
・カラオケに久しぶりにはまる
・twitterのイベントに割と積極参加
・小さいライブを見に行く
…etc
何かそんな感じかな。
激動!!ってかんじでは無いけれども、まぁいつも通りだったのかな。
春には京都に行ったりしたりして。リア充っぷりを発揮したり。(あれ?春かね?)
ああ、今年は本棚をちゃんと完備して、溢れた。
ラノベをいっぱい読んだな。(特に新人の)
アニメは、毎クール10本ぐらい消化。
whitealbumが終わったので、ちょっと来期からはどうなるんだろう、僕のアニメライフ、という感じ。
エヴァと東のエデンを見たり。(スクリーン)
でもできないことも沢山あった。
特に人のお手伝いは殆ど結局何も出来なかった。
さやらんの悩みに答えることが出来なかった。
ふと、気がつくと自分のプライベートな時間がなかった事が大きい。ごめんなさい。
神谷さんにも連絡とれなかったし、凄くいろんな人に迷惑を掛けた年でもあったなぁ、と。
でも結局、僕は何がしたい人なのか分からないまま、一年が終わる。
嘆いても仕方ないんだけれども。
次の2010に施策を打つんじゃなくて、時間ってずっと続いているものだから、今から何かを野郎って考えないとダメなんだろうな、きっと。
明日実家に帰るのだけれども、実は大晦日も元旦も繋がっていて、空間をどのように共有するのかって事だけが問題で、じゃあどうするのかって言うと、一つ一つ自分で決めたとおりに、素敵な時間を過ごすしかないわけで。
其れってでも凄く難しくて。
何故かというと答えは簡単で。世界は僕だけじゃなくて、全く知らない第三者と目の前にいる第三者と、時間と、それぞれが独立した空間が構築しているからであって、結局『うまくいかないことの連続』だからなのだろう。
そんなうやむや。
今年終わっちゃうけど、結局オセロ作れなかったなぁ・・・。
いや、未だ半日ある。
考えてみよう。
荷物を積めたり色々やってもコードを書く時間は未だあるはず。
最後まであがいてみようではないか。
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#085 12月と忘年会 -飲まされないテクニック
12月には忘年会とクリスマスと大晦日がある。
もちろん大掃除も学生時代には終業式にもあったり冬休みもあったり。
12月というのはとにかくイベントが沢山ある。
…と、言う事で今日は忘年会なんだが、非常に体調面で不安。
だからと言う訳ではないのだけれども、早め早めにいろんな用事を終わらせて会に備えようとしていたんだが、色々とやっているうちにとても時間的に巻きになった。
家に帰ってきてしまったので、でかけるのが億劫でもある。困ったことだ。
今日と20日が私事な忘年会で、来週の水曜日が会社のプロジェクトのキックオフ兼忘年会。
僕の用事なんかどうでもいいんだけど、とりあえずメモとして。
私事の忘年会は、どちらも100人超えの大集会なので、自分の名前を売ろうか(売名行為)、会を楽しむかのふたつにひとつしかない。
去年の実績でいうと(twitterの)86忘年会でひっそりと隅の席でインターネッツをやっていて、非常に楽しかったのだが、今ひとつ盛り上がりには欠けた。(当たり前である)
今日は、余り飲みたくないこともあって、席の移動をメインでやろうと思っている。
でも、それってほとんど売名行為なんだよね。難しいところ。
飲み会で、余り飲まされないようにするためのテクニック。
・席を移動する
→これは高等テクニックであるが、非常に有効。特に大人数の場合席を移動することで、会話をして適当なところで切り上げていく事で、お酌の回数を減らすことが出来る。特に知らない人の中に割って入っていくと、常識人であれば『これ誰?』というのと『こいつ飲ませて大丈夫か?』と言う二つの要素が組み合わさって、空のグラスをもっていない限り酒を勧めてこないことが多い。ただし、知り合いのいるテーブルには近づかないこと。
→また、空のグラスを持って回ることで、どんどん飲むこともできる。身につけておくと非常に便利。
・固定席にする
→これには二つやり方があって、1つ、ATフィールドの展開。言わずもがなです。2つ、打ち解けて『飲めない』事を最初からアピールしておく。これは結構大変。特にテーブルに飲ませたがり屋がいるときには非常に無力。
・他の人間を飲ませる
→コミュニケーション能力と自分自身もある程度飲まないと成立しない。相手が3杯飲んでいるうちに自分は1杯ぐらい飲むようなペースだと非常に楽にできる。あと、これは女の子(男の子)にお酒を飲ませるときに有効。飲む気にさせるように自分がマイムでグラスを持ったり飲むような雰囲気(あくまで雰囲気)を作ると相手は勝手に飲んでくれる。「飲まないの?」とか直接的な一言もいいけれども雰囲気作りが大事。他の人が飲んでいると、その場にいる人全員が飲んでいるような錯覚を持つので、自分は余り飲まなくて良い。
他にも幾つかあるのだけれども、飲まないで、忘年会を(しかもほとんど知らないor初対面の人々の大人数飲み会)楽しむためのテクニック。
本当は飲んで楽しむのが一番手っ取り早いのだけれども、具合が悪いとか、色々事情はあると思うので自分のとっている方法を紹介してみた。
女子を口説く方法もそのうちやってみたいと思うが、色々ひんしゅくをかいそうなので今回はやらない。
お酒は飲まれないように気をつけてくださいね!(主に自分に向けて)
ごきげんよう。
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#084 口内炎
- 2009-11-30 (月)
- 未分類
小さな頃、父親が口内炎で口が開かなくなったことがありました。
摂取できるのが液状のカロリーメイトだけという非常に酷い状況だったことを憶えています。
小さいボクは、そんなことを構わずにレガシィに乗り込む父に何か話をねだった気がする。
筆談で、いってきますと書いてくれた気がする。普段笑わない父親が何か笑ってくれた気がする。
ものも食べられないほどに疲れている中で、何も考えなしに父に近寄っていって、無邪気としか言えない自分の相手をしてくれた父親が、いまになって精一杯父親なりに接してくれ亭なのかな?と思ったりした。
いまは、母と離婚してしまったし、子どもは3人とも家を出ているので、実家には父と、父のお父さん(ボクのおじいさん)のふたり。
でも、家は二つあるので、たかが30メートルほどの距離だけれども、離れて暮らしている。
当時の父は、バブルの真っ直中、良い時代だって事もあったんだろうけれども、それでも一生懸命働いていたような気がする。
おじいさんは割と凄い人だったみたいなので、その辺は家の事業と言うこともあって色々負い目も感じていたのだろう。
何より父は人の上に立てるような人ではなかった(性格的に)
最近父親のことを考えると、単純に余裕のない人として、ばっさりだったんだけど、自分が口内炎になると、その時のことを思い出す。
父は子どもが好きじゃない。でも、自分なりに一生懸命いろんなモノに折り合いを付けようとしていたのではないのかな?と思う所が父を一方的に責める気になれない最大の要因だな、と思う。
変な話、ボクだけが父の味方、と言うような見方があるようだ。
そんなことはないんだけどね。
父は苦手だし、弟もそんな好きじゃない。
期待に応えられない自分がいけないのだ、と言う言い方もあると想う。
言い方って言うか、考え方か・・・。
ボクは口内炎や体調不良になったら、自分に素直だから会社を休むし、出来るなら、引きこもろうと想ったりする。
しかし、ボクが居なければ困る人というのが居るわけで(勿論代わりはいるだろう)でもそう言う人を困らせようと思っているわけではない。自分に驕っているような気もする。
でも、驕っているだけなら、いいなと思う。ボクが居なくても、何とかなるのは解るけれど、居なくても良いという環境が一番良いかな、とかね。
結局のところ僕も父親に似ていて、そんなに人に好かれるようなタイプの人間ではなく。
ただ、違うのは、ボクは別に好かれなくてもいいと思っているところで、父はどこか諦めキレていないような節があるところかな・・・。
ま、親子だから。
閑話休題
思い出を語るには、随分早いかな、と思ったけど。
思い出したときしか、きっと話せないな、と思った。
今のところ実家に戻る気はない。
でも、もしも和歌山でいまと同じような仕事が出来るならどうだろう?
でも、いまと同じ仕事をする気はないかぁ・・・(苦笑
ごめんね、ありがとう、おやすみ。
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#083 転職活動について
- 2009-11-29 (日)
- ひとりごと
はっきりと宣言する必要はないのだけれども、転職活動をしている。
愚痴です。
愚痴が苦手な人は読まなくて良いです。
気分を害するだけなので。
自分で言うのも何だけれども、自分のやってきたこととか自分勝手居ることとか、矛盾は沢山あると思うけれども、正しいと思っている。
勿論毎日悩むし、とても辛いときもある。間違っているんじゃないかと、其ればかり気になって弱気になることもある。
出来ることならば、『ボク』を客観視してくれて、身の丈にあった仕事をするのがきっと良いのだと思う。
でも、絶対そんなの、つまらないし、
『君はヘタレだからね』
と一蹴されない事にはならないだろう。
ヘタレと言われることは、別に構わない。
作っているモノも、出来ることも、特にないから、ボクもそうだと思って居る。
でも敢えて人のせいにするなら、
『ボクを信用しない人と仕事をしているから』
と言ってしまいそうになる。
甘えなのは解ってるつもり。ゆるいのも解っているつもり。自分が弱いことも解っているつもり。
でも、ヘタレだって言うなら、会社がボクを凹ましてくれればいいんじゃないかな、って思う。
だから、そう言う会社は辞めて、ヘタレじゃない自分が自分で描けるような会社に行きたいと思う。
辛くても、吐きそうになっても、頭を下げるだけの毎日になったとしても、きっとその人達はボクに何らかの期待をしているからそのような態度になるのだと思う。
いまはやっぱりぬるくて、ボクの言うことは全て正しくて、『君が、言うなら、まぁ、其れでいいと思うよ』何てノは日常茶飯事で。
それは、ボクだって、緩くなるしぬるくなるし、人のせいにするし、甘くもなると、思ってしまう。
それから、ボクはリーダーじゃないし、そう言う職責はない。
ボクは一担当者として、自分の与えられた仕事を全うしたい。
リーダー、まとめ役、コンサル。やりたいことではある。けど、それをしても何の責任もない。
ボクが出来なくて、ボクがヘタレで、結果が出せなくて、怒られるのはリーダ、って変だと思う。
職務を全うすることは、マネジメントとは関係ないかもしれないし、会社の売り上げを担保する必要もないのかもしれない。
でも、そう言うこと考えなきゃ仕事として手を動かせないと思う。
僕は今、お客様へのよりより、もしくはより良くないシステムの提案をしている。
密結合してる。
納期と予算が決まってる。対等な値段なんて誰が決めるんだろう。
安すぎるときも、高すぎることもある。
ベンチャーなんだからノウハウが無くて当たり前で、付け焼き刃的に工数を標準化しても、生きていく上でイレギュラーな事なんて起こらない方がおかしくて。
だから、出来るだけのことを出来るだけやる。
自分の苦手なことも、出来ないことも出来るようになれば良いだけで、本当に出来なければ、身銭を切って出来る人に頼めばいい。
そんなときに、出来る人が周りにいないこと、それこそがボクにとっては致命的じゃんじゃないかって思う。
いまは幸いにもいる。
(勿論わからない事は山のようにある)
だからね、ボクは、転職活動して、単に大企業だからとか、単に待遇が良いからとかそう言うことでは動かないと思う。
いまの会社の業務内容は嫌いじゃない。
でも、ボクは人一倍人と話すように努力してるし、営業さんにも個人的にアドバイスしたり案件状況聞いたりしてる。
わからない事はお互い補完している自負があるし、頼られているようにも思う。
でも、やっぱりそう言う思い入れのある案件は自分で受けたいし、責任も欲しい。
ボクはデザイナーで、スタッフで、誰にも強く言えない
お金じゃない。
いまいる会社の社長さんは此所を見てないと思うからはっきり言う。
『僕は使い使いにくいのかもしれませんが、少なくともプロジェクト途中放棄するような人とは違います。彼のことは僕は嫌いじゃないし、色々と尊敬もしているけれども、相談相手は彼じゃなくてボクじゃないのが残念。』
と、いうことで転職活動中です。
P.S ボクね、何だかんだまじめなんだと思いますよ。凄く、本当にバカと接頭語に付くぐらい。
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#082 はてなと僕。
この話にオチはありません(いつものことです)
はてなダイアリーのタイトルを、
ぷらとろにカル?
に変更しました。
ずっと、platoronicalの日記、と端的で分かりやすい感じだったんですが(デフォルト)実は端的だと思っていたのは僕だけで、『platoronicalってなに?』という人が多かったみたいなので、変更しました。
もちろん、platoronicalは僕の造語であったり、ボクの名前であったりすることから、やっぱり無意味なのですが、名前だということも意識されないこともあったので、まぁ、造語でもいいのかな?と思いました(やっぱり日本語が変)
閑話休題
はてなを知ったのは、ずいぶん昔。アンテナがはやったころじゃないかな、と思います。
当時のアカウントは忘れましたが、確か自分で設置して、あまりのインストールのめんどうくささに諦めて、でも、アンテナは使いたかったのではてなに登録した気がします。
あれ?その前に人力検索エンジンのころの方を先に知っていたのかな?
わかりません。
しかし、このはてなというものが一体何なのか僕はわかりませんでした。
個人?人?何?会社?団体?何なの!!?
そういう状態。で、もちろん課金なんかしない。
頭でっかちだった僕は当然のことながら、見た目地味な日記など眼中になく、日々は過ぎました。
平和でした。
ぬるま湯のような毎日。(本当は違います)
しかしある時、増田やはてブ、などといった単語が急に目につくようになってきました。
はてさてこれは(笑うところ)、とggったところ、どうやらはてなという会社がやっているサービスらしい。
ああ、あのはてなか。
と。
そしたら、気がついたら、なるほど周りのインターネッツ達(インターネットをやっている人々)がこぞってはてなのサービスを使っているではないですか。
mixiとか、そういうレベル感じゃなくて、楽しそう。(mixiとか2chはそれはそれで楽しいですよっ)
で、始めたはてダですが、特に何かあるわけでもなく、やはりぬるま湯の日々。
トラックバックも、はてなスターも、はてブ持つかない。ホットエントリーなんかhの字も出ない。超地味サイト。(ここと同じようにNE)
しかし、思ったのです。
タイトルが、デフォルトのままだと。
気がついたのです。
なので、今日、変えたのですね。
ああ、何の話か全く分からなくなってしまった。
このくらいでとりあえずよいでしょうか。
id:maname さんから、スターを三つもらったので、とても喜んでいます。
あのアルファブロガーのid:maname さんから!!
と、いう夢を見たのさ。
P.S
そのあと、id:ryocotanと会えたり、はてなの中の人に会えたりして、とても充実した日々を送っています。
何でしょうか、はてなの人と仕事できる機会はないものでしょうか?(うつろな目
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